大相撲の元関脇寺尾・錣山親方が17日に「うっ血性心不全」のため60歳で死去し、角界内外で悲しみが広がっている。現役時代は小兵から繰り出される激しい突っ張りと甘いマスクで、ファンを魅了。土俵外では、プロレスラーの高田延彦と親交が深いことでも知られていた。その人気力士を恐れ多くも激怒させてしまった本紙の元担当記者が、当時を振り返る。
「なんだよ、この見出しは!」
春場所の前だったと思う。稽古場に入るなり怒声を浴びせられた。UWFの高田らと仲がいいことで知られていた寺尾にビッグマッチの関連コメントを求めたところ、その内容が面白かったのだろう。〝角界のUWF博士〟寺尾が分析――というような原稿となり、紙面に掲載された。
「俺は相撲はわかるけど他の格闘技とかは専門外で、偉そうにしゃべれるわけがないだろっ。それがなんだ、UWF博士? ふざけるなよ!」
得意の突っ張りをほうふつとさせる抗議の速射砲。門外漢が他の分野に口を出すことは失礼にあたる、ましてやそれを公にされては高田らに合わせる顔がない、ということだったのは容易に想像できた。
2度目の〝猛突っ張り〟を受けたのは、確か九州場所だった。同部屋の大関霧島が引退に追い込まれそうな状況に陥り、私は「年寄名跡を用意できていないため、やめたくてもやめられない」という記事を書いた。取組後、霧島の様子を他紙の記者らと見にいくと、車が行き交う道路を挟んだ反対側からいきなり罵声が飛んできた。寺尾だ。
「おいコノヤロウ、東スポっ。東スポ! なにが名跡が用意できないだコノヤロウ! うるせーんだよ東スポ!」
一方的に怒鳴り散らす姿に、他紙の記者らは「なんだアレ」とあきれながら不快感をあらわにする。私も同様だった。窮地の兄弟子をそっとしておいてほしいという気持ちだったのだろうが、やりすぎだと。
取材で話はするが、仲がいいわけではない――そんな関係と思っていた。それが一変したのは、本紙が相撲協会から取材拒否、出入り禁止を受けて間もないころだった。巡業先の横浜文化体育館。緞帳(どんちょう)が下りた薄暗いステージで寺尾に呼び止められた。
「お、こんなとこにいて大丈夫なの? どうなってんの?」と笑顔で問いかけてくる寺尾に「僕と話してるのを誰かに見られると、関取怒られますよ」と返す。すると寺尾は真顔になって、こう話し出した。
「協会はともかく、俺は仲間だと思ってるから。なにか聞きたいこととかあったら、いつでも聞きにおいでよ。ホントだよ。頑張れ。負けるな」
つらい時だっただけに、意外な温かい言葉が身に染みた。書いていても今でも胸が熱くなる。
まっすぐで、仲間思いで、そしていい男だった。













