【今週の秘蔵フォト】日本フォーク界の草分けで、デビューから「お登紀さん」の愛称で親しまれ続けている大御所的存在が加藤登紀子だ。
1943年12月27日満州出身。都立駒場高校から東京大学文学部西洋史学科を卒業した才媛中の才媛。66年に「誰も誰も知らない」でデビュー。2枚目のシングル「赤い風船」でレコード大賞新人賞を獲得。
71年には森繁久彌・作詞作曲の「知床旅情」をカバーし、オリコン1位を獲得するとレコード大賞歌唱賞を受賞。紅白歌合戦にも初出場した。日本人の心に染みわたる不朽の名曲となり、今でも歌い継がれる。
78年4月12日付本紙には中島みゆき作詞作曲の「この空を飛べたら」をリリースしたばかりの加藤のインタビューが掲載されており、すでに大御所の雰囲気が漂う。当時は夫と娘2人で世田谷に暮らし、田無方面に小さな畑を持って無農薬の野菜を栽培していた。
中島は当時大ブレークした直後で、この組み合わせは大きな注目を浴びていた。「昨年、何度か出会う機会があって、作曲を依頼したらあっという間に3曲も届けてくれてね。そのうちの1曲なんですよ。気分よく歌えてね。味わい深い歌です。今度ぜひ一緒にコンサートをやりたいですね」と笑った。加藤はこの曲で同年5月にTBSの人気番組「ザ・ベストテン」に初登場している。
活動の幅は広く精力的で、6月には2枚組のアルバム「加藤登紀子・長谷川きよしLIVE」を発売。ちょうどインタビュー時には長谷川とのジョイントコンサートで9月末まで日本全国を回っている最中だった。
「成熟しつつある女と完成しきった男のコンビなんて言ったりして。アハハハ。『カナダからの手紙』に引っかけてよく2人で笑うんですよ」と語りつつ、酒豪であることについて聞かれると「コンサートを景気づける感じがするし、日常から逸脱していく感じがするでしょう」と豪快に笑った。
その後も絶えることなく歌い続け、昨年5月にはウクライナ支援チャリティーアルバム「果てなき大地の上に」をリリース。売り上げの全額を日本チェルノブイリ連帯基金を通じて寄付するなど79歳の現在も最前線で活躍中だ。 (敬称略)















