【今週の秘蔵フォト】「春」をテーマにした名曲は数えきれない。その中でも柏原芳恵が1983年にリリースした中島みゆき作詞作曲の「春なのに」は、屈指の名曲とされる。オリコン6位を記録して、自身を代表する曲となり、紅白歌合戦初出場も果たした。

いろんな表情を見せてくれた
いろんな表情を見せてくれた

 79年「スター誕生!」でグランドチャンピオンになり、80年6月、柏原よしえ名義の「№1」でデビュー。81年10月「ハロー・グッバイ」が40万枚を売り上げる自己最大のヒットを記録した。82年に現在の名前に改名すると、翌年には「春なのに」の大ヒットでトップアイドルの地位を確立した。

 83年2月15日付本紙には「春なのに」がヒット中の柏原のインタビューが掲載されている。10日には全曲中島みゆき作詞作曲による同名のアルバムが発売されたばかりだった。「中島さんとの出会いは私にとって記念すべきことです。とても楽しい人で“ラジオから出てきたような人”。ポンポンしゃべって周りの人に気を使い、雰囲気づくりが上手な人。怖い人かと思ってましたが、とても優しくてホッとしました」と語っている。大御所の中島も柏原をいたく気に入っていたそうだ。

 同期は松田聖子と河合奈保子だったが、ライバル意識について問われると「むずかしい質問ですね。聖子ちゃんは4歳上、奈保子ちゃんは2歳上のお姉さん。そういう意識はありません。先が長いのでこれからが勝負だと思います。最初は2人に後れを取っていたけど、最近は自分の世界が見えるようになってきた。これから本当の自分を出していきたい。『春なのに』という素晴らしい歌に巡り合い、自分なりのビジョンが出てきました」と積極的に語っている。

 その言葉通り、81年から86年までは実に18曲をオリコントップ10入りさせる快進撃を続けた。

 さらには今後について「歌と芝居が両方できるタレントになりたいですね。一番素晴らしいなと思うのは山口百恵さんです」と語った。その言葉通りに80年代後半からはドラマや映画などで活躍し、グラマラスなボディーで男性ファンを魅了した。

 その後は絶えることなく精力的な活動を続けて2020年には40周年記念コンサートを開催し、新曲もリリースした。57歳になった現在も昔と変わらない魅力を保ち歌い続けている。