【今週の秘蔵フォト】1970年代後半に大ヒット曲を連発。国民的アイドルの座を獲得して社会現象にもなったのがミー(現・未唯mie)とケイ(現・増田惠子)のピンク・レディーだ。81年3月に解散すると、それぞれがソロの道を歩んだ。
ケイは増田けい子として解散した年の11月にリリースしたファーストシングル「すずめ」(中島みゆき作詞作曲)が40万枚の大ヒットを記録。ソロ歌手として順調な道を歩んだ。その後も松任谷由実作「ためらい」、竹内まりや作「らせん階段」(いずれも82年)など大御所ミュージシャンによる曲に恵まれ立て続けにヒットさせた。
83年2月28日からは事務所を変えて芸名を「増田恵子」に改名。同年3月1日付本紙ではインタビューに応じ心機一転、新たな活動に意欲を見せている。「ケイちゃん」も当時25歳になっており、大人の色香を漂わせるようになっていた。
「姓名判断の先生に見てもらったら『恵』に変えた方が運が開けると。それに私は大器晩成型なんですって。もう過去(ピンク・レディー)の話はしないで。今は心機一転、増田恵子に生まれ変わって頑張りますから」と笑顔を見せている。
同28日までは東京・宝塚劇場「喜劇かえる屋」で初舞台を踏んでいた。「勉強になりました。テレビや映画は何本も出演させてもらいましたが、舞台とは違う。台本があって諸先輩方のアドリブが強烈で初めはドギマギ…。でもそれがすっごく面白い。お客さんの反応も肌で感じられるし、今までにはない素晴らしい経験です」と芝居の魅力に取りつかれた様子だった。
さらには「歌手のほうも頑張ります。今新曲を製作中で、昨年はおかげさまで『すずめ』が大ヒットしましたし、すごく充実した年でした。昨年暮れに出たLP『恋するお友達』も調子いいんですよ。こちらもよろしくお願いします」と語った。
84年には増田恵子として初のシングル、桑田佳祐作「女優」が大ヒットを記録。以降、コンサートツアーを欠かさずに昨年7月にはビルボード横浜でデビュー40周年&誕生日記念ライブを成功させている。
ピンク・レディーは時代の化け物的存在ではあったものの「大器晩成型」という姓名判断はある意味、当たっていたのかもしれない。
















