【プロレス蔵出し写真館】大相撲を題材にしたNetflixのオリジナルドラマ「サンクチュアリ―聖域―」が好評だ。
不良が相撲部屋にスカウトされ、のし上がるストーリー。徐々に力士としての自覚が芽生え、心も体も変化していく様が描かれる。役者陣の演技が上手く、内容も秀逸でカメラワークにも引き込まれる。
余談だが、相撲担当記者役の忽那汐里らの喫煙シーンは、東スポが入るビルの4階にあった喫煙所でロケが行われた。
ところで、主役の一ノ瀬ワタル演じる力士の四股名は猿桜(エンオウ)だが、監督の江口カンは「主人公の猿桜の桜は、格闘家の桜庭(和志)みたいなキャラにしたいということでそうなった。ちなみに北尾(光司)というすごい生意気な、横綱になった人も猿桜の中に入ってます」とインタビューで答えていた。
ドラマの中で、猿桜が取り組みに勝利して派手にガッツポーズして喜ぶシーンがあるが、北尾も同じようなことをして協会から大目玉を食らったことがあった。
トレーニングパートナーとして北尾を支えたアポロ菅原は、「横綱(※北尾のこと)が言ってましたよ。小結時代(1985年)に横綱・千代の富士に下手投げで勝った後、ガッツポーズしちゃった、って。あの千代の富士にガチンコで勝って本当にうれしかったから、つい出ちゃったってね」と明かす。
相撲を廃業し、スポーツ冒険家を経てプロレスに転向した北尾は米バージニア州ノーフォークのルー・テーズ道場、ミネソタ州ミネアポリスのブラッド・レイガンズ道場で修行。菅原はどちらにも同行してアドバイスを送ったが、驚かされたのはそのナチュラルなパワーだという。「横綱の腕力(かいなぢから)はとんでもなかったね」と述懐する。
その一端がマスコミに披露されたのは、今から33年前の90年(平成2年)4月20日、埼玉・秩父山中で行われた山ごもり特訓だった。
取材陣は、軽トラックがあるのを見つけ、北尾に何気なく聞いた。「持ち上がりますか?」。「じゃ、やってみようかな」。北尾はそう言って車体に向き合うとひょいと軽く上げてみせた。あまりにもあっけなく上げてしまったので、今度は荷台に2人記者が乗ってトライしてもらうことに…。これも難なくクリアし、それならと、さらに3人加わり計5人が荷台に乗った。車両の重量は630キロ。取材陣5人の体重は370キロ。総重量は1トンだ。
北尾は「危ないですから(荷台の)前の方に来てくださいね」。そう言うと、グイっと持ち上げ、軽トラを傾かせた(写真)。
菅原は「パワーリフティングのデッドリフトでも、300キロは軽くクリアするだろうね」と驚愕した。
北尾は、新日本プロレスでは現場監督の長州力に差別的暴言を吐き、あわや殴り合い寸前になり、円満に契約が解除されることで決着。その後のSWSではアースクエイク・ジョン・テンタとの一戦で「八百長発言」して解雇処分。UWFインターでは「両者の間で打撃はシュートOK」のルール(フロントの鈴木健取締役の証言)で、高田延彦の右ハイキックを受けKO負け。決して長くないプロレス生活は波乱万丈だった。
94年に格闘塾「北尾道場」(後の武輝道場)を旗揚げすると、自身に好意的だった天龍源一郎のWARを主戦場にしていく。
北尾光覇と名乗っていた北尾と天龍の最後の試合は97年12月24日、後楽園ホールで行われた〝力道山ベルト〟日本J1選手権者決定トーナメント準決勝。北尾は北尾ドリラーを決め、〝あわや〟の見せ場も作ったが、結果的に、下から腕がらみを決めた北尾が天龍に押さえ込まれる形になりカウント3を献上し、不透明な決着で敗退した。
試合後、北尾と飲み屋で遭遇したというカメラマンのMは、「試合を取材した数人で水道橋駅近くの居酒屋へ入ると、すでに岡村隆志、望月成晃と飲んでる北尾さんがいて驚きました。通りすがりに声をかけて座敷に上がると、しばらくして北尾さんが新しい焼酎ボトルと、自分が飲んでたグラスを手に我々の席に来て、どっかと座ったんですよ」と当時を懐かしむ。
「いやー、疲れたよ」。北尾はそう言って皆と乾杯し、笑顔でグラスを空けたという。わざわざ来てくれた北尾の対応に「皆、喜んでました」(Mカメラマン)
翌98年に北尾は引退。35歳の若さでリングを去った。菅原は「もったいなかったよね。どこ(の団体)も横綱のあの体格とパワーを生かしきれなかった」と嘆く。2メートル、160キロの巨体は、まさに規格外だった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













