【八重樫東氏 内気な激闘王(17)】「八重樫、ちょっと来い」。2014年1月、北海道・函館で行われたジムの新年会で大橋(秀行)会長に手招きされた。この手の呼び出しは大抵マッチメークの話だ。案の定、大橋会長の口から世界戦の提案が出た。「ロマゴンとの話があるけど、やるか? 別に無理にやらなくてもいい。断ってもいいんだぞ」
後に4階級制覇王者となるローマン・ゴンサレス(ニカラグア、帝拳)は、その時点で37戦全勝。最強男との対戦に「NO」の選択肢などあるはずがない。いつものように「やります」と即答。こうして両陣営の意思が確認され、大激闘となった試合が実現したのだ。
その3か月後、僕はWBC世界フライ級3度目の防衛(14年4月6日、東京・大田区総合体育館)に成功。この日は井上尚弥が初めて世界タイトル(WBC世界ライトフライ級)を取った興行でメインは尚弥だった。本来は防衛戦がメインになるものだが、大橋会長に「八重樫、ごめんな。尚弥に譲ってくれ」と言われて「全然いいですよ」と、ここでも即答。セミで防衛を果たし、メインで尚弥が初の世界王者になる最高のストーリーが出来上がった。
このころ、僕はジムで何度も尚弥とスパーリングし、才能あふれる彼に必死で食らいついた。尚弥との思い出は後述するが、今の僕があるのは間違いなく彼のおかげだと思っている。
ロマゴン戦(14年9月5日、東京・国立代々木競技場第二体育館)が正式決定し、WBC世界フライ級王者として最強男の挑戦を受けることになった。ただ、実際にどうやれば勝てるのか、見当もつかなかった。なにせ彼は一度も負けたことがない男。攻略の正解例がない。映像を何回も見返したけど、見れば見るほど死角がないし、すごいボクサーだと思った。勝って名を上げようなんて発想は皆無。それより「死ぬのかな」「生きてリングを下りられるか」とか、そういうレベルの思考だった。しかし一方では、どこか根拠のない自信もあった。足を使ってさばき切れば意外といけるんじゃないか、と。
相反する気持ちが渦巻く中、覚悟だけはできていた。負けるにしても日本人らしく「堂々と散ろう」と決めていた。これは僕の譲れない「美学」。片道燃料でリングへ向かい、そこですべてを使い切る。実際、試合前には「片道燃料でいきます!」って記者さんたちに言った記憶もある。子供の時に読んだ漫画の影響か、そういう生き方に憧れていた。
ロマゴン戦はボクシング人生をかけた“神風アタック”。僕は腹をくくり、特攻隊になった気持ちでリングへ向かった。
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












