【八重樫東氏 内気な激闘王(22)】 ボクシングの世界に入って初めて半年以上も練習をしなかった僕は、必死に“自分探し”をしていた。
2017年5月21日(東京・有明コロシアム)、IBF世界ライトフライ級V3戦でミラン・メリンド(フィリピン)に人生初の1ラウンドTKO負けを喫し、練習も試合もヤル気が起きず、日々を過ごしていた。大橋(秀行)会長から「12月に試合を組むぞ」と言われるも、僕は初めて「パスでお願いします」とNOを選択すると「分かった」と理解いただいたが、ここでようやくスイッチが入った。
18年に向けて「これが最後の挑戦だ」と心に決めた。自分のボクシング人生を振り返り、どうやって集大成を迎えるかを考えた。それには明確な動機が必要だった。といっても自分が頑張るための理由を無理やりつくる感じだ。僕はスーパーフライ級に上げて、当時日本人初となる「4階級制覇」を目標とした。周囲を納得させるための“大義名分”だ。やらざるを得ない状況に追い込み、再起を誓った。
全く練習しない日常からボクサーの生活に戻し、改めてボクシングがどれだけ大事な存在かを知った。毎朝、走り込みながら「もうできなくなるかもしれない」といとおしい気持ちになり、かみしめるように練習した。もはやベルトとか王座はどうでもよかった。4階級制覇ですら名目でしかない。それよりボクシングに向き合っている1分1秒が楽しくて仕方ない。そんな自分が大好きだった。毎朝1人でシュート練習を行い、自分を疑わずに努力していた中学のバスケットボール部時代に戻った気がした。あの時期に自分の人格が形成されたのだろうか。再起してから引退までの最終フェーズは最も充実し、ボクシングを最高に愛した時期かもしれない。
スーパーフライ級のノンタイトル戦を3連勝した後、19年12月23日(横浜アリーナ)、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦することになった。最終的にスーパーフライ級で戦うことはできず4階級制覇の挑戦は持ち越しとなったが、僕はフライ級で王者になって転級する青写真を描いていた。
しかし、試合は9ラウンドTKO負け。相手は同い年で年齢を言い訳にできない完敗だった。だが、今回は自然と敗戦を受け入れることができた。この時期、自分の世界に入り込んでいたので試合の結果や周囲の状況に精神状況が左右されなくなっていたのだ。
試合の翌日から僕は走り始めた。井上尚弥に「今はゆっくり休んでください」って言われたが「もう走っちゃったよ」と答えたのを覚えている。練習しながら今後のことを考えようとしていると、世の中が激変した。新型コロナウイルスが練習の機会を奪ったのだ。
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












