【八重樫東氏 内気な激闘王(21)】 僕のボクシング人生はいよいよ最終章を迎える。2015年12月、階級を上げた後に下げて3階級制覇(ミニマム↓フライ↓ライトフライ)を達成。その後は「次に負けたら引退」と覚悟して防衛戦に臨んだ。

 17年5月21日(東京・有明コロシアム)、IBF世界ライトフライ級王座3度目の防衛戦で僕はミラン・メリンド(フィリピン)に人生初の1ラウンド(R)TKO負けを喫した。試合前のコンディションは万全で動きも良かったが、開始直後にパンチをテンプル(こめかみ)にもらい、気付いたら倒れていた。こんな感覚は初めて。パンチが効いたかどうかも分からない。足は踏ん張れるし「大丈夫だろう」と思っていたら、またスコーンと立て続けに2度も倒された。1Rに3回のダウン…。あっという間の出来事だった。

 ボクサーなら分かると思うが、テンプルはかなり効く。その瞬間の記憶が飛び立ち上がった時も状況が分からずに「大丈夫だ」と思い込んでいるのは自分だけ。体のダメージはなく、顔も腫れていないが、結果は惨敗だった。あっけない幕切れで、悔しさもなかった。負けた実感もなかったので「引退しよう」とは思えなかった。

 数日後すぐに練習を再開したが、1週間くらいしてジムに全く行かなくなった。練習前にバンデージを巻きながら、全くヤル気がないことに気付いた。試合をしたいという気持ちも湧いてこない。高校生からボクシングをやってきて初めてモチベーションを失った感覚だった。こんな気持ちで続けていたら危険だ。もう辞めたほうがいいのかな…。徐々に僕の中で「引退」の文字が膨らんでいった。

 そんな状況で約半年、僕は全く練習をしなかった。大橋(秀行)会長や松本(好二)トレーナーには何も伝えていなかったが、周囲は「最近ずっと練習に来ないな」という話になっていたらしい。その年の秋、後援会が主催する井上尚弥(当時WBO世界スーパーフライ級王者)の祝勝会に呼ばれ、久しぶりに大橋会長に会った。「どうするんだ? やるなら12月に試合を組むぞ」

 突然、問われた。その時点でボクシングと向き合う気持ちが全くなく、かといって引退の覚悟もできていない。

「すみません。12月の試合はパスでいいですか」

 ジム入門以来、僕は初めて試合の打診を断った。大橋会長は「え!?」と驚いていたが、どこかで僕の心情を察してくれていたと思う。言葉でやりとりしなくても以心伝心、精神状態はすべて分かっていただいている。すぐに会長は「分かった」と受け入れてくれ、それが逆に僕をヤル気にさせた。最後の挑戦がいよいよ幕を開けた。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。