【昭和ロックを語る時が来た】キャシー中島の友人がビートルズの部屋に“潜入”「ポール・マッカートニーにギターをもらったの」

2020年04月25日 10時00分

キャシー中島

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た:キャシー中島編(5)】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(57)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。今回、キャシー中島(68)と語るのは、ザ・ビートルズ来日が日本に与えた影響。宿泊ホテルに忍び込んだキャシーの友人が、ポール・マッカートニーからプレゼントをもらったという驚きのエピソードが。(隔週連載)

<GSブームの火付け役>ユカイ:キャシーさんはビートルズもリアルタイムで見ている世代ですね。やはりハマりましたか?

 キャシー:好きでしたよ。伊勢佐木町に「ピーナッツ」っていうジャズ喫茶があって、そこにビートルズの曲を日本語で歌うかわいい姉妹がいて、すごく人気があったの。私も見に行きました。

 ――日本語歌詞にして歌うっていうのが60年代っぽいですね

 ユカイ:来日公演(1966年6月30日~7月2日)には行けたんですか?

 キャシー:チケットが取れなかったから、コンサートには行けなかったけど、ビートルズが泊まっていた東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急=東京・永田町)に行って、下から部屋を見てました。私の友達は横の方からうまく入って、部屋まで行けたのよ。

 ユカイ:あの警備の中で!? どうやって入ったんですか?

 キャシー:その子もハーフで、見た目は外国人っぽくて英語もしゃべれるから、警備の人が「泊まっている人かな?」と思って通しちゃったみたい。

 ユカイ:そういう時代ですね。

 キャシー:それで部屋まで行って、ポール・マッカートニーにギターをもらったの。

 ――え! それはすごいことじゃないですか! オークションに出したらとんでもない高値が! そのギター、いまどこにあるんですか

 キャシー:アメリカ人と結婚して向こうに行っちゃったから、どうなったかな?

 ユカイ:ビートルズが来日して、日本は大フィーバーになりましたよね。若者にはどんな影響がありましたか?

 キャシー:すごく影響がありましたよ。何より英語を勉強する人が増えたよね。ビートルズの歌詞の意味を知りたい、自分も英語の歌詞をかっこ良く歌いたい、「勝ち抜きエレキ合戦」みたいな番組に出て歌いたいってね。でもそういう番組に出ると学校は退学になるし、それだけで不良って呼ばれたけど。あのころは、「英語を覚えたのはビートルズから」って人が周りにたくさんいた。アメリカに行っちゃった友人もいましたね。

 ユカイ:「英語を覚えたのはビートルズから」。いいタイトルだなぁ。

 ――ユカイさんもビートルズが英語の入り口じゃなかったですか

 ユカイ:まさしく。まぁ俺はビートルズが解散した後から聴き始めた遅れたファンだけど。ところで日本ではビートルズ来日後にGSブームが始まるわけですが、ゴールデンカップス以外のGSをどう見てましたか?

 キャシー:途中から失神パフォーマンスとか始まって、これは違うなって冷ややかに見てました。音楽ってそうじゃないでしょ。踊れて、演奏している人とアイコンタクトするのが私たちは楽しかったから。

 ――今だから言える話ってありますか

 キャシー:仲がいいGSと悪いGSがいて、バチンバチンしてました(笑い)。

 ――もしや、ショーケンこと萩原健一さんが絡む話ですかね

 ユカイ:鮎川誠さんとの対談の時、ショーケンさんが先頭に立ってケンカを売りに来たという話があったんです。

 キャシー:ショーケンね。当時、恵比寿にあった「中川三郎ディスコティック」で会って…。 (次回に続く)

☆きゃしー・なかじま=1952年2月6日生まれ。米・ハワイ出身。3歳のころから日本に拠点を移し、69年にCMモデルとしてデビュー。歌手、テレビタレントとして活躍する。72年からパッチワークを始める。79年に俳優の勝野洋と結婚。静岡県御殿場市に移住し、87年に同市にパッチワークの教室をオープン。現在はタレントとして活動する一方、全国に6店舗のキルトスタジオを開き、後進の指導に励んでいる。

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。