ミスターが振る舞った千葉産ホットスイカの思い出

2021年03月07日 10時00分

「チャボ」くんこと中村常寿投手

【越智正典 ネット裏】新丸子は渋谷から東急東横線で行くと「多摩川」の次である。駅には東急ストア。駅東口に往時の「巨人軍多摩川寮」。純情寮といってもよかった。

 寮則第一条は「寮生は毎日銭湯へ行くこと」。ごはんはドンブリ盛り切り一杯、おかわりはなし。朝、夕、だれかが多摩川の土堤を走っていた。下流の「ガス橋」で折り返してくる。ジャイアント馬場、馬場正平投手が新潟県三条実業から入団した昭和30年の春の休日「猛牛」千葉茂が国産車第一号、いすゞの「ヒルマン」で寮にやって来た。

「おーい、大変だ。みんな自動車を見にこい!」。玄関前を掃除していた一人が叫ぶと、寮生たちは階段を駆け降りた。夏、馬場はカヤを吊って寝床に入った。からだが大き過ぎて脚が出て蚊に襲撃された。同室の同期新人「カンちゃん」こと富山県砺波高校出身の内野手岡田(横山)稔は、毎晩夜中に部屋の電灯をつけ馬場のために蚊と戦った。網戸はない。もちろん、クーラーもない。岡田が結婚したとき、来賓のひとりが披露宴で句を贈っている。

「チューリップ、都の庭に植えて行く」…。

 で、そのあと、郷里に送ろうよ、とみんなで千葉の車をかこんで記念写真を撮った。

 反対側の新丸子西口に「チャボ」くんこと松山商業、近大の右投手、中村常寿が巨人退団後、オシャレなスナック「スカーレット」を開いていたのを思い出した。多摩川グラウンドでのケンカが忘れられなかったのでときどき店に寄った。

 中村常寿は34年の日本選手権用の投手として(球団発表)33年秋、巨人に入団。二軍練習が終わりに近づいていたその日の夕方、注文していたグラブが届くのを待っていた。「玉沢運動具店」の大森光夫が牛込から社の単車で届けに来た。

「いくらだ?」

「もうこんな時間ですから会社の金庫が閉まっています。お預かり出来ません。ツケにしておきます」

 チャボくんが怒った。

「さあー、カネを持ってけ。いまは二軍だが、商売道具をツケで買うほどわしゃー落ちぶれておらん」

 取っ組み合いのケンカになった。チャボくんは巨人在団3年3か月、登板計17試合、1勝2敗、奪三振27で退団していた。気っ風はよかったが、168センチ、68キロ。からだの力が足りなかったのが悔やまれる。

 大森はのちに正力亨オーナーに見込まれて球団職員になる。

 ここで、長嶋茂雄に登場して貰わなければならない。その夏、大森の家に「ミスター」から電話がかかって来た。

「スイカを食べに来いよ。いま切ったんだ。千葉のスイカはおいしいぞ」

 佐倉一高のときの球友、投手奈良誠(八街駅前で大きな書店経営、八街中学、佐倉一高監督)が毎年、盛夏にとどけている。翌日、大森は仲間だけに告げた。「はじめはホントはちょっと困ったんですが、光栄でしたのですぐに家を出ました。わたしの家の近くの東武東上線の駅から電車を乗り換え、乗り継いで田園調布まで57駅ありました」

「スイカはホットスイカになっていました。これは内緒ですよ。でもありがたかったですよ」=敬称略=

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