ユニホームからエプロンへ――。34年にわたる野球人生を経て、元ソフトバンク投手の田之上慶三郎さん(54)は、2023年11月に福岡・糸島でカフェ「itoshimacco(いとしまっこ)」をオープン。今はエプロン姿でカウンターに立ち、セカンドライフを歩んでいる。ダイエー(現ソフトバンク)でエースとして活躍し、引退後はソフトバンク、日本ハムの両球団でコーチを歴任。グラウンドで培った情熱が、温かな一杯の中に息づいている。
糸島市の駅前通りにある創業128年の老舗「YAMASHITA」に併設されたカフェ「いとしまっこ」。木のぬくもりに包まれた落ち着いた空間で、木製ブラインドや光の設計まで細部に意匠を凝らした。「地域の人がほっとひと息つける場所にしたかった」とマスターの田之上さんは話す。妻の真喜子さん(56)は家族とともにこの老舗を守ってきた。店は呉服店として出発し、後に婦人服を主軸に転じ、今はカフェも抱えて地域の拠点を目指している。
田之上さんは23年までソフトバンクのコーチを務めたが、真喜子さんの体調不良を機に現場を離れる決断をし、同年11月に店を開いた。現役時代は福岡ダイエーの先発陣を担い、パ・リーグ最高勝率(6割5分)を記録。引退後はホークス、日本ハムの両球団で投手コーチを歴任し、その後、22、23年には二軍で小久保裕紀監督とともに若手育成を支えた。
看板メニューのキーマカレーとハンバーグは、九州を代表するフレンチシェフ・福山剛氏の監修。カレーは糸島産の野菜や豚を使い、店のご飯には山あいの湧き水で育った特別栽培米を合わせる。チョコレートなどの加工品は「ふるさと納税」にも出品し、物販にも力を入れる。
店のこだわりは、国内に5台とされるイタリア製エスプレッソマシン。「再現性が高く、狙いの条件を正確に出せます」と田之上さん。一方で、ブレンドやゲイシャは注ぎ方や抽出時間といった基本の所作で味が決まるため、プロに学んだ手順で一杯ずつ丁寧に入れる。最近はラテアートにも挑戦中で、客出しはまだ控えつつ「いつか自信を持って出せるようになりたい」と笑う。
店にはホークス関係者やファンも足を運ぶ。柳田悠岐、中村晃、東浜巨、引退後の和田毅や摂津正らが立ち寄り、森唯斗もしばしば顔を出す。小久保監督も24年1月4日の年明け初営業日に来店して色紙を残し、24、25年の春季キャンプ時にはチョコレートを100セット注文してくれたという。
小久保監督とは1971年生まれの同学年。「小久保監督は芯がぶれない。『当たり前』のレベルを上げる監督」と敬意を込め、今季の連覇についても「苦しい展開の中でチームをまとめて優勝まで導いた采配。やっぱりすごい」と語る。
現役時代は寡黙で知られたが、カフェでは笑顔が絶えない。「もともと人前で10分も話せるタイプではなかった夫が、今は店で笑い声を響かせています。店に“笑いがある”っていいですね」と真喜子さん。
一方で今は「家のことや料理も少しずつ覚えています」と田之上さん。真喜子さんが「最初は電子レンジの“チン”からでした」と冗談めかして笑うように、現役時代とは違う時間の使い方が夫婦に生まれた。免許を返納した高齢の常連を車で迎えにいくこともあり、地域密着の姿勢は揺るがない。田之上さんは、野球もコーヒーも「お客さまの笑顔のために」と穏やかに言う。
「自分たちの店が、糸島の人たちにとっての居場所になれば」。ユニホームを脱ぎ、エプロンを結ぶ。糸島での第2幕は、お客さまの笑顔が原動力だ。
















