肺炎のため4日に死去した大御所演歌歌手・橋幸夫さん(享年82)の葬儀は、9日の通夜、10日の告別式と併せて約1300人が参列した。告別式には悪天候にもかかわらず、多くの中高年ファンが弔問に訪れた。橋さんがよく口にしていた「感謝」のこもった〝お別れ会〟の舞台裏を取材した。

 葬儀委員長を務めた所属事務所「夢グループ」の石田重廣社長が、橋さんの死を公表したのは5日。関係者によると、東京・江戸川区の病院で息を引き取った橋さんはその後、葬儀会場となった文京区の傳通院で安置されていたという。

「傳通院は、橋さんのご両親が眠る菩提寺。橋さんは生前、このお寺を大層気に入っていていて、石田社長に『俺は死んだらこの寺(の墓)に入る。社長もここに墓を買って、一緒に入ろう』と言っていました」

 喪主である18歳年下の妻・真由美さんの願いもあり、葬儀まで線香の火を絶やさないことにした。そこで傳通院に移された橋さんのそばで〝寝ずの番〟をすることになったのは、夢グループ社員兼、橋さんの名曲を歌い継ぐ3人組ユニット「二代目橋幸夫yH2」だ。

「3人は線香を絶やさないよう、ほとんど寝ずに番をしていたようです。ストップウオッチで計ったら、線香の火は消えるまで20分かかったらしく、仮眠するにも長くはできなかったようです」と関係者。

 yH2の3人は、5日から8日まで夜通し、橋さんのそばにい続けた。そして9日の通夜が終わり、その夜も〝線香番〟をしたというから5日間、橋さんと夜を共にしたことになる。

「最後の夜、最年少の徳岡純平は途中で帰りましたが、残る小牧勇太と進公平は、夜中の3時半に交代スタッフが来るまで、番をしてました」(同)

 告別式でyH2は出棺前、橋さんと吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」(1962年)を歌い、見送った。最年長の小牧は寝坊グセがたたり今年1月から謹慎していたが、この日が歌手復帰の舞台に。3人が歌い出した途端、降り始めた大粒の雨は、橋さんのうれし涙だったのか。

 また、橋さんは生前、石田社長に「死に顔は見せたくない」と語っていたという。橋さん、西郷輝彦さんと共に「御三家」と呼ばれた歌手・舟木一夫も、通夜に参列したが棺の橋さんの顔は見なかったと明かしている。

 告別式では弟分の歌手・三田明が弔辞を読み、徳光和夫、清水アキラ、「狩人」の弟・高道と岡元あつこ夫妻らが参列した。