ロックバンド「頭脳警察」のボーカリストとのPANTA(パンタ、本名・中村治雄=なかむら・はるお)さんが7日、肺がんで死去した。73歳だった。

 PANTAさんと同じ地元で「全裸監督」の原作者の本橋信宏氏は「『所中(所沢中学)の先輩(学年は7つ上)がなんかバンド組んでデビューしたらしいぜ』とウワサになったが、まさか伝説の『頭脳警察』だったとは。赤軍派のシンパで、同派の塩見孝也議長と何度か登壇した。地元の先輩後輩のよしみで、しばしばトークライブにもご一緒させていただいた。10代の頃、ホリプロから『ピーナッツバター』というGSでデビュー寸前までいきながら、アイドルは嫌だと拒否した。ジュリー、ショーケンに継ぐアイドルの座を捨て、発売と同時に発禁になる超過激バンド・頭脳警察でデビュー。素顔は控えめで、優しかった。高田馬場のビンテージレコード『ハリー』の店主がファンなので、サプライズ訪問したのも懐かしい。石川セリのヒット曲『ムーンライトサーファー』は本名で作詞・作曲。隠れたヒットメーカーでもあった」と偲んだ。

 音楽プロデューサーからデジタルアーティストに転じた月光惠亮氏は「1970年代を駆け抜けた僕のヒーローがまた一人逝ってしまった。PANTA Forever。国家権力を相手に戦う彼の姿勢はあの当時でも真似できるアーティストはいなかった。まるでボブ・ディランのようだった。PANTAは最後の最後までロックそのものだった」と追悼した。

 後輩ミュージシャンの面倒見の良さにも定評があった。リアクションのベーシストの反町YUKI哲之は「歌詞を書いてくれて、永福町のスタジオで仮歌を歌ってくれた時の感動は今も鮮明です。お疲れさまでした」。

 BRONXでデビューし、JIMISEN(ジミセン)などで活躍するのベーシストの下田カツヒコは「お疲れさまでした。ゆっくりお休みください、合掌。お誘いして、予定がない時は小さなライブハウスでもよくいらっしゃいました、一度内田裕也さんの『ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル』の出演後にわざわざ自分が池袋のライブハウスでカウントダウンライブに出演しているのを見に来ていただいたこともありました、日付も変わって1月1日元旦の午前4時頃でしたね」と話している。