【八重樫東氏 内気な激闘王(19)】 僕のボクサーとしての価値って何だろう。キャリアの晩年、そんなことをよく考えていた。
2014年9月5日、僕はWBC世界フライ級タイトルマッチで、当時の最強男ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)に9ラウンド(R)TKO負けを喫して王座陥落。打ち合いの末の完敗だったが、不思議と満足感も芽生えていた。試合後、周囲の方から予想外の言葉をかけられ、意識に変化が生まれたのだ。
この時期は、常に「負けたらオシマイ」と引退を覚悟し、ロマゴン戦も「散るときは潔く」と捨て身だった。敗戦後、たくさんの人から「本当にいい試合だった」「涙が出たよ」と思いがけない言葉をいただいた。ジムには「感動して涙が止まりませんでした」と書かれた手紙が届き、全く知らない方からも連絡がきた。負けたのに「八重樫は強い」「また戦う姿を見たい」と言ってくださり、喜びとともに自分のニーズを感じていた。
幼少期からコンプレックスの塊で、いくら勝っても自分に自信がなかった。でも、皮肉なことに井岡一翔君との試合(12年6月20日、WBC&WBA世界ミニマム級統一戦)やロマゴン戦と敗北するたびに自分の強さを認めてもらった気がする。そのあたりから自分の必要性や商品価値を考えるようになった。
たぶん僕が世界チャンピオンになってもニーズはない。井上尚弥のように圧倒的に強く、ヒーローショーのような勝ち方はできない。でも倒れても立ち上がり、殴られても向かっていくことはできる。そこに僕の価値があるのではないか。それならボクシングを続けてもいいのではないか。そう考えて、再びリングに立つことにした。今思うと、井岡戦とロマゴン戦はかけがえのない財産となっている。
その後、階級をライトフライ級に落として挑戦を開始。3階級制覇を目指して14年12月30日、WBC世界ライトフライ級王座決定戦(東京体育館)でペドロ・ゲバラ(メキシコ)と戦ったが、7RでKO負けを喫した。これで世界戦2連敗、それもKO負け。さすがに周囲から「限界」と言われはじめた。
しかし、同戦の敗戦原因は明らかに減量ミス。フライ級のパワーを維持して戦おうとした僕はリカバリーで食事を取りすぎ、体重を8キロも戻してしまったのだ。これがコンディション悪化につながって負けたのだが、周囲は「階級を上げて下げる(ミニマム↓フライ↓ライトフライ)のは無理だ」と批判された。
自分の中では減量さえミスしなければ「必ずライトフライ級で勝てる」という自信があったので、どうしても証明したかった。周囲の声に励まされたロマゴン戦とは逆に、今度は周囲への反骨心が僕に火をつけた。
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












