【八重樫東氏 内気な激闘王(18)】 2014年9月5日、東京・代々木競技場第2体育館。WBC世界フライ級王者として、39戦無敗(当時)と“最強の男”ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)の挑戦を受けることになった。ベルトを持っているのは僕だが、主役はもちろんロマゴン。僕は特攻隊になったつもり。「片道燃料で行きます!」と玉砕覚悟でリングへ向かった。

 この試合に関しては、今もファンの方に「感動した」「泣いた」と言われる。ありがたいことに、打ち合いを評価していただいたようだ。よく井岡一翔君の試合(12年6月20日、WBC&WBA世界ミニマム級王座統一戦)と比較されるが、僕の中では全く違う種類の打ち合いだった。井岡戦は接近戦におびき寄せる戦術。ロマゴン戦はやや感情のスイッチが入った格好。1回ダウンしたので「もうどうでもいいや!」と大胆になったのだ。

 打ち合いながら、僕は大きなギャップを感じていた。パンチを出すたびに会場から大歓声が沸いたが、実際は全く当たっていなかったのだ。ブロックの上を叩いているだけで、芯を食っていない。ファンの「ワー、ワー」という声を耳にしながら「オレのパンチ、効いてないのにな」と感じていたことを覚えている。反対に嫌というほど相手のパンチをもらった。つなぎが速すぎて、全くついていけない。やることすべてはね返され、完全にジリ貧状態。「クソっ! どうしよう」と思って戦っていた。ロマゴンのパンチは表現として「強い」ではなく「うまい」。まさに接近戦のスペシャリストだった。

 最後のシーン(9ラウンドTKO負け)も断片的に脳裏に焼き付いている。あのパンチもテクニックだった。タイミングを合わせられ、スコーンとやられた。倒れた時に「まだできる!」と思って立とうとしたが、レフェリーが試合を止めてしまった。「なんで止めるんだ。まだできるのに…」と悔しい思いで天を仰いだ。

 レフェリーに抱えられてコーナーに戻り、大橋(秀行)会長に「大丈夫か?」と聞かれると、なぜか「これなら(井上)尚弥は勝てますよ」と言ったのを覚えている。会長は「こんな時に何を言っているんだ?」と驚いていたが、当たり前だ。自分でもなぜ突然、そんなことを言ったのか分からない。試合をしながら、いつもスパーリングしている尚弥とロマゴンを無意識のうちに比較していたのだろうか。

 リングを降りてからの記憶はあやふやだが、ある確信を得ていた。惨敗したものの、プロボクサーとしての矜持が芽生えていたのだ。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。