【八重樫東氏 内気な激闘王(15)】 引退した今もファンの方に井岡一翔君との試合について聞かれることが多い。この一戦は日本人同士による史上初の(WBC&WBA世界ミニマム級)統一戦として話題を集めたが、周囲の盛り上がりとは裏腹に冷静だった。子供のころから内向的で目立つことが大嫌い。世界王者になって街で声をかけられることも苦手だったので、知名度が高い井岡君が注目を独占してくれて本当にありがたかった。
2012年6月20日、大阪府立体育会館。試合当日、ある構想を練っていた。足を使ってポイントアウトするスタイルは井岡君の真骨頂。その土俵に上がったら勝ち目がないので、打ち合いに持っていくプランを立てた。1ラウンド(R)から思惑通りに試合が進んでいった。前半にペースを握り、中盤で少し中だるみをつくり、後半に再びギアを上げる。この普段通りの作戦に加え、僕は被弾を覚悟して井岡君をおびき寄せた。パンチが当たれば、もっと打ちたい――。そんなボクサーの心理を突いた作戦だ。
自分から攻撃しにいったらクレバーな井岡君に足を使って逃げられてしまう。だからパンチの芯を食わないよう注意して、井岡君を打ち気にさせる“エサ”を丁寧にまいた。松本(好二)トレーナーはずっと「もらわないように」と声をかけてくれ、それを聞くたびに冷静になり、淡々とプランを遂行していった。
振り返ると、自分の理想通りに試合を組み立てられたと思う。ただ結果は判定負け(0―3)。敗因はパンチをもらい過ぎたことに尽きる。ある程度の被弾は予想していたけど、あれほど目が腫れたのは想定外。試合後の腫れ方も尋常ではなかった。作戦はうまくいったものの、そのあたりが実力不足だった。そういえば、試合中のドクターチェックの際、大橋(秀行)会長は「八重樫はもともと目が細いから大丈夫だ」と主張した。あの場面でそれを言うとは…。改めて面白い会長だ(笑い)。
井岡君に敗れ、僕は一度も防衛できずにベルトを失った。しかし、喪失感はなかった。ベルトや王座に対する執着もなかったので、自分の本来の立ち位置に戻ったと感じていた。何度も言うが、僕は生まれてから一度も自分が強いと思ったことはない。前回はたまたまベルトが巡ってきたけど、井岡君に負けて元通りになっただけ。敗戦による精神的ショックはなく、とにかく体を回復させることを第一に考えていた。
あれから10年が経過したが(WBO世界スーパーフライ級王者の)井岡君は今も現役で頑張っている。(世界バンタム級3団体統一王者の)井上尚弥とはタイプが違うが、改めて彼のような「色」のある選手もいるからボクシングは面白いなって思う。
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












