【八重樫東氏 内気な激闘王(14)】「井岡とやるなら今しかないぞ。やるか?」

 大橋(秀行)会長にそう言われ、僕は初めて(WBC世界ミニマム級王者の)井岡一翔君を意識した。2011年10月、ポンサワン・ポープラムック(タイ)とのWBA世界ミニマム級タイトルマッチに勝利。初めて世界王者になった直後に大橋会長から冒頭の提案を受けて「はい」と即答した。当時、減量がきつくて階級を上げる予定だったので、井岡君とやるタイミングを考えても、ここしかなかったと思う。

 話はトントン拍子に進んでいった。放送はテレビ東京系か、TBS系か。場所も東京で開催するのか、それとも大阪か。ルールはWBAか、WBCか…。さまざまな問題が山積していたが、井岡君のお父さん(一法氏)がウチのジムに来てくれ、大橋会長と話し「どっちでもいいから、とにかくやろう」となった。

 対決が実現すれば日本人同士による史上初の世界王座統一戦となるが、当時の井岡君と僕の知名度は比べ物にならなかった。統一戦といえども主役は完全に井岡君で自分はチャレンジャー。目立つことが苦手な僕としては試合前の話題を井岡君が全て持っていってくれるのは本当に気楽だった。戦前の予想でも井岡君が「勝つだろう」と言われていて「負けても誰も文句を言わないな」くらいに考えていた。自分の性格を考えると、これ以上やりやすい構図はなかった。

 ただ、一部の人から「なんでせっかくチャンピオンになったのに井岡君と戦うの? もったいない」と言われたことを覚えている。僕が負ける前提のセリフ。でも、あまり気にならなかった。井岡君とは1回だけ手合わせしたことがあり「やれないことはない」と思っていたけど、勝つことは「相当難しいだろう」というのが本音だった。彼は反復練習とインテリジェンスのボクシング。それを徹底して勝ち続けている男なので「どうやって崩そうか」と考えを巡らせた。

 世紀の一戦は12年6月20日、大阪府立体育会館。放送局はTBS系に決まった。試合当日、周囲は「史上初」「統一戦」と盛り上がっていたけど、井岡君に対して特別な意識はなかった。ただ「打ち合い」に持っていくプランを立てていた。それはなぜか。足を使ってポイントアウトする展開は彼の土俵だから。それをすると、分が悪い。だから、ある程度の被弾を覚悟して打ち込んでいくことにした。

 人間の心理として、パンチが当たり出すと「もっと打てるぞ」という意識になる。それを逆手に取って、エサをまき、打ち合う距離におびき寄せることにした。案の定、作戦はハマった。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。