【八重樫東氏 内気な激闘王(2)】自分が強いと思ったことなんて一度もない。幼少期から今に至るまでずっと劣等感を抱いてきた。それは世界王者になろうが、3階級制覇しようが変わらない。
こんなことを言うと人は「謙虚だね」と褒めてくれる。でも本当に自信がない。かつては街で「チャンピオン!」って声をかけられ、チヤホヤされたりもした。しかしそれは一瞬のことだ。試合にたまたま勝ってベルトが回ってきただけ。運といえば運だ。冷静になって考えれば、僕よりも強い選手なんていくらでもいる。上には上がいるってことを昔から痛いほどよく分かっていた。
なぜこんな考え方になったのだろう。この連載を始めるにあたり改めて自分と向き合ってみたが、やっぱり幼少期の経験が根底にあると思う。物心ついたころからネガティブで内向的。そして人一倍のコンプレックスを持っていた。体格や身体能力が周囲より劣っていたので、背が高くて足が速い人やスポーツ万能な人を見ると、必ず自分と比較した。野球をやれば打てない、遠くに投げられない。バスケットボールをやってもシュートが入らない。食も細ければ勉強だって自信がない。そして気付いてしまった。彼らに勝てるものは何一つないってことを…。小学生が抱えるにはあまりにもつらい現実だ。こんな感じで僕は自分を否定し続け、今の人格が形成されたんだと思う。
でも僕はネガティブなまま終わらなかった。コンプレックスを抱えながらも自分と向き合い、少しでも強くなろうとあがいた。小学3年生の時、地元の岩手・北上市内の野球チームに入った。父親(昌孝さん)がコーチ、1つ上の兄(大さん)も同じチームにいて、2つ下の弟(悟さん)も後から入った。5人家族のうち4人がチームメート。そこでも目立たずおとなしい存在だったが、5年生でセカンドのレギュラーになり、6年生では体が小さいのにキャッチャーを任された。
最後の地区大会で敗れた時、弟が涙を流していたシーンを覚えているが、僕も練習中によく泣いていた。キャッチャーフライが捕れず、コーチに何本もフライを上げてもらい、泣きながらボールを捕りにいった。すごく悔しかった。どうやら内に秘めたものはあったらしい。でも、それをうまく外に表現できない。だから、ただ悔しくて泣く子だった。今思えば、過剰な劣等感が自分を伸ばす最大の原動力になったのかもしれない。
僕は後に世界チャンピオンになるが、当時は日本に有名な王者がたくさんいたため、ベルトを巻いても目立たない存在だった。絵に描いたような“2番手人生”。その兆候は少年野球時代からあったようだ。小学6年生の時、僕はキャプテンに選ばれながら「主役」にはなれなかったのだ。
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












