【八重樫東氏 内気な激闘王(8)】 運命ってこんなにあっけなく決まるのか。拓大ボクシング部4年生の僕は「サラリーマンになりたくない」という一心でプロを目指し、複数のジムから誘いを受けていた。最終的に横浜光ジムと大橋ジムの「2択」で悩み、2004年夏に中洞三雄コーチ(現拓大監督)に相談した。
すると突然、中洞さんは携帯電話をかけて「ウチの八重樫がお世話になるから。頼むよ!」と言って切った。なんと大橋秀行会長に“直電”したのだった。日本代表のコーチだった中洞さんは専大時代の大橋会長と接点があったという。「あいつなら信用できる。大橋ジムに行け」と一方的に言われ、あっさりと進路が決定した。僕はむしろホッとしていた。こうでもしないと自分の意思では決められない。流れに身を任せ、人に委ねる人生も悪いもんじゃない。
こうして大橋ジムに所属することになった。契約金があったかどうかは覚えていない。ただ、後で聞いたところによると、大橋会長は僕の試合映像を一度も見ず、他ジムの会長の評判だけで僕をスカウトしたらしい。「お前を見たことなかったんだけどなー」と笑っていたが、会長のおかげで僕は最高のボクシング人生を送ることになる。
同級生たちは次々と企業への内定が決まったが、僕は将来的な保証が一切ない。それでも全く不安はなかった。要するに僕はバカだった(笑い)。自分の趣味に見切りをつけず、かといって「チャンピオンになる!」という大きな野望を抱くわけでもなく、単にボクシングが好きなだけでプロの世界に飛び込んだ。
05年3月26日、ミニマム級でプロデビューの日を迎えた。前夜は緊張で全く眠れなかった。布団に入って目を閉じても自分の心臓の鼓動がうるさくて眠れない。アマチュア時代にはなかったことだ。結局、ほとんど寝ないまま朝を迎えることになった。試合前、ミット打ちをしようとすると、自分の精神的支柱だった松本(好二)トレーナーが病気のためミットを持てないことを知った。誰が持ってくれるのかと不安になっていると、見たことがない体の大きな男の人がやって来て「オレが持ってやるよ」と声をかけてくれた。その男の正体は佐久間史朗さん。元WBA世界ミニマム級王者・星野敬太郎さんを支えた名トレーナーで、その時が初対面だった。状況をのみ込めないまま、とにかくミットをバンバン打った。睡眠不足に加えて、初めて会った人とミット打ち――。ある意味「なるようになれ!」と開き直ることができた。
控室から出て花道へ向かうと入場曲が流れた。その瞬間、体に電流が走った。プロの試合って、こんなに楽しいのか!
☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。












