【八重樫東氏 内気な激闘王(20)】僕を奮い立たせるのは、いつだって反骨心だ。2014年12月30日にWBC世界ライトフライ級王座決定戦(東京体育館)でペドロ・ゲバラ(メキシコ)に7ラウンド(R)KO負けを喫した時もそうだった。

 同年9月のローマン・ゴンサレス戦(WBC世界フライ級王座陥落)に続く世界戦2連続KO負けで「引退」もチラついたが、周囲の評価が僕を突き動かした。この敗戦は減量後のリカバリーで体重を戻し過ぎたことが原因だったが、周りからはミニマム級↓フライ級↓ライトフライ級という足取りに対し「階級を上げて下げるのは無理」「八重樫にはできない」などと言われた。そんな指摘を覆して、完璧な減量を証明したい一心でリベンジを誓った。

 僕はコンディショニングトレーナーの桑原弘樹さんのアドバイスを受けて、人間の体をイチから勉強した。いろんな分野の人に会ってサプリメントの知識を得たり、歯医者さんから歯のかみ合わせとパフォーマンスの関係性、マウスピースの形なども教わった。あらゆる分野に興味を持ち、マニアックな情報も深掘りした。すると徐々に理論が分かり、最終的に自分の体をすべてコントロールできるようになっていた。現在トレーナーとして後輩たちに減量やフィジカルのことを伝えられるのも、この時期の経験が大きいと思う。

 15年12月29日(東京・有明コロシアム)、IBF世界ライトフライ級王者ハビエル・メンドーサ(メキシコ)への挑戦が決まり、いよいよリベンジの舞台が整った。減量とリカバリーはバッチリ。試合も思い描いたプラン通りに進んだ。メンドーサはサウスポーだったが、WBC世界フライ級タイトルマッチ(13年4月8日、東京・両国国技館)で五十嵐俊幸をやっつけて以来、サウスポーへの苦手意識を完全に払拭していた。

 それにメンタルとフィジカルがともに高いレベルで充実していて、やりたいことがすべてできた。打ち合いの場面が多くて顔がボコボコに腫れてしまったが、それも僕らしい。すべてにおいて八重樫らしさが光った試合といえる。判定勝ちで3階級制覇を達成。周囲からたたえられたが、僕としてはライトフライ級へのリベンジを果たせたことがうれしかった。

 この試合はセミファイナルで行われ、いつものようにメインは世界一の後輩、井上尚弥の試合(WBO世界スーパーフライ級王座V1戦)だった。12R判定勝ちした僕は集まったメディアの方々に「尚弥の試合、見なくていいんですか? すぐ終わるので早く行ったほうがいいですよ」と勧め、その言葉通りに尚弥は2Rで試合を決めた。

 翌日の一夜明け会見の主役は完全に尚弥。幼少期から2番手人生を歩んできた僕は、その立ち位置が実に心地良かった。
 
 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。