【直撃!エモPeople】人気ユーチューバー・カジサックことお笑いコンビ「キングコング」の梶原雄太(42)が半生をつづった初の著書「家族。」が5万部を突破し、話題だ。トントン拍子にスター芸人の階段を駆け上がりながら起こした“失踪騒動”、人気低迷期、相方・西野亮廣の活躍と事務所退所など困難は何度もあった。どん底からはい上がって見えてきたものとは――。
今や手がけるユーチューブチャンネルは6つ。登録者数は237万人を誇る。だが、4年前の開設当初は「何やってんねん、お前」「落ちたな」「情けないの~」と散々な言われようだったという。
「芸人仲間から“こんなに煙たがられるのか”と思うくらいでした。みんなテレビ番組に比べてユーチューブを下に見ていた。でも僕は1年間かけて戦略を練って、自信はあったので“今に見とけよ”と興奮してましたね」
かつて「キングコング」は結成5か月でNHK上方漫才コンテスト最優秀賞受賞、NSC(吉本総合芸能学院)卒業後、すぐに「はねるのトびら」(フジテレビ系)のレギュラーメンバー、M―1第1回大会決勝進出など、破竹の勢いで人気街道を進んだが、番組終了後、人気は低迷。相方・西野が絵本作家などの個人活動を始め、梶原はひな壇芸人として結果が出せずに苦悩を抱えた。
人気ユーチューバーとなったが、特に恩義を感じているのは最初にコラボしてくれた人気ユーチューバー・ラファエル、上沼恵美子、相方・西野亮廣だという。
芸能界引退も考えていた2015年「快傑えみちゃんねる」(関西テレビ)のレギュラー出演が決まり、5年間上沼と共演した。
「上沼さんから『あなたはスターになるべき人です』と言われた言葉が刺さった。ノリで言ってくれたのかもしれませんが、当時の僕はテレビの世界ではスターにはなれない。何か新しい世界に飛び込むしかないと考え直すきっかけになりました。僕のユーチューブでのテクニックには、しゃべりやカメラ目線など“上沼イズム”が相当あります」
相方・西野は昨年、吉本興業を離れ、梶原だけ所属している。
「週に1回、コンビのユーチューブチャンネルの収録で会ってますが、コンビ組んで以来、今が一番いい関係。西野のいろんな才能はリスペクトしてますし、それぞれ違う道で結果を出して、コンビの時間もある。ユーチューブを始める前、僕が腐ってて、何も動こうとしなかった横で西野は絵本や映画とか、いろいろ動く姿を見せてくれた。自分も何かやらねばという気持ちにさせてくれました」
2003年、「はねるのトびら」などレギュラー番組9本を抱えていた人気絶頂期、梶原がうつ状態になり、失踪した時も西野は復帰まで2か月半、待っていてくれた。3日間、行方不明になり、気付いたら、大阪のカラオケボックスに1人でいた。病名はストレス心身症による失踪、対人恐怖症、記憶消失、自虐症だった。
「猛スピードでうまくいきすぎて失敗しなかったのと、周りに心を許せる相手がいないと思い込んでいた。プライドが高くて、意地張って、ためてためて爆発した。あの時“1回死んで”人間の底を見たと思ってます」
たどり着いたユーチューバー・カジサックの活動には教訓が生きている。
「テレビでは“キングコングのボケはこうあるべき”と背伸びして本当の自分ではなかった。ユーチューブではすべて解放して自分に向いていることができている。それも、挑戦してダメだと判断したから今がある。行動した人にだけチャンスは巡ってくると思います」
著書では一番尊敬するという母との関係もつづった。梶原が小学校1年生の時に離婚した母は梶原と2人の兄を女手一つで育て上げた。
「末っ子の僕には『やりたいことをやらせてあげたい』と、小学校でサッカーの大阪府代表になった僕を中学ではクラブチームに入れてくれた。でも僕は周りのレベルが高すぎて、そこではナンバーワンにはなれないと心折れてやめた。それでもう一つの夢、お笑い芸人が浮上したんです」
ヨメサックこと未来子夫人、2男3女の5人の子供たちとの生活や子育て法もユーチューブで披露し、支持されている。
「当初は家族を出演させる戦略はなかったんですが、嫁から『1日ママ体験やってみたら?』と言われてやったら喜んでもらえた。家族も武器になるんだと新しい発見でした。長男もユーチューバーになりたいと言ってますし、ゆくゆくは歌舞伎の世界のように襲名制にして、子供たちが望めばカジサックの二代目、孫が三代目と代々襲名してもらうというのが夢」
その表情は大黒柱の父としても、人気ユーチューバーとしても自信がみなぎっていた。
☆かじわら・ゆうた 1980年8月7日生まれ。大阪府岸和田市出身。小学校時代はサッカーで大阪府代表に選出、中学時代はJリーグにつながるクラブチームに入るも挫折。中2でお笑い芸人志望が芽生え、高校卒業後の99年、NSC(吉本総合芸能学院)22期生として入学。同年、同期の西野亮廣と「キングコング」結成。在学中の2000年、結成5か月でのNHK上方漫才コンテスト最優秀賞受賞は最速。01年、卒業後すぐ「はねるのトびら」(フジテレビ系)レギュラー出演。03年、失踪騒動。05年ラッパーとしてCD「おかん」リリース。06年、未来子夫人と結婚。18年、カジサックとしてユーチューバーデビュー。2男3女の父。












