【八重樫東氏 内気な激闘王(7)】劣等感をバネに生きてきた僕にとって、拓大時代の4年間はプロボクサーとしての基礎が完成し、逆襲人生への足がかりになる時期だったと思う。大学3年生になると、練習後の洗濯、掃除、電話番という下級生の雑用も終わり、都内のボクシングジムへ出向いて一流プロ選手とスパーリングを行った。

 ジムに顔が利くアマの関係者が仲介し、プロ側とアポイント。日本王者や世界王者と拳を交える絶好の機会を得た。当時はプロとアマの間には大きな壁が存在した。今みたく簡単に交流できなかったため、拓大の監督に「風邪をひきました」とウソをついて練習を休み、お忍びでジムへ通った。まさに“道場破り”のようなスパーリングだったが、先輩らが「ドンドン行ってこいよ」と後押ししてくれたのは今も感謝している。厳密にはルール違反だったが、もう“時効”ということでご容赦願いたい。

 プロとアマは実力差があって練習にならないと思われがちだが、トップクラスのアマは3ラウンドくらいならプロに負けないスピードがある。僕が大学4年当時(2004年4月~05年3月)は、多くのチャンピオンたちとスパーリングした。WBA世界ミニマム級王者だった新井田豊さん、WBC同級王者・イーグル京和さん、WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重さん、昨年亡くなられた星野敬太郎さん…。ジムを転々としながら「一流の拳」を肌で感じ、刺激をもらった。精神的には「アマだから負けて当然」とノビノビでき、かといって一方的にやられる展開でもなかった。半信半疑ながら「意外とプロでも通用するかも」と、かすかな希望も芽生えていた。

 周囲が就職活動を始めるころ、僕は「サラリーマンにはなりたくない」との一心だった。そして大好きなボクシングを続けるためにプロを志した。もちろん「世界王者になってやる!」といった野望など全くない。プロボクサーになれば「あいつは就職もしないでフラフラして…」と後ろ指をさされない。つまり「夢を追いかけているボクサー」という“大義名分”が欲しかっただけ。プロが目前に迫り、自信をつけながらも、幼少期から抱えてきたコンプレックスはまだ僕の中に残されていたようだ。

 声をかけてくれたのはワタナベジム、大橋ジム、角海老宝石ジム、横浜光ジム。当時、大橋ジムは川嶋さんが世界王者に君臨していて勢いがあり、僕が目指していた技巧派タイプの松本好二さんがいたのは魅力的だった。でも、横浜光ジムには同じ階級の新井田さんがいて、一緒に練習すれば強くなれると思っていた。どこへ行くべきか? 悩んでいた時、一本の電話によってあっけなく僕の運命が決まった。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。