意外と知られていないが、6月23日は「オリンピックデー」。1894年の同日に国際オリンピック委員会(IOC)が創設されたことを記念して制定され、今年も世界各国で五輪にちなんだイベントが行われる。

 一方で、昨年の東京五輪・パラリンピックを運営した大会組織委員会が今月末をもって解散。2014年1月に発足し、8年半に及ぶ活動の幕が下りる。21日には東京都庁で50回目となる最後の理事会が開催。約1時間半にわたる記者会見終了後は武藤敏郎事務総長、高谷正哲スポークスパーソンら関係者が記者団と別れのあいさつをするシーンもあった。

 新型コロナウイルス禍による史上初の延期に加え、開幕前には開会式のプロデューサーや楽曲担当らの不祥事が相次いで発覚。中でも森喜朗前会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と〝女性蔑視〟と受け取れる発言で辞任した騒動は国民の猛反発を招いた。組織委幹部は不眠不休で対応に追われたが、会見で武藤事務総長は当時の胸の内を明かした。

「大会開催の数か月前に会長が代わる予想だにしないことでした。非常に驚き、予想外なことが起こって、どうしたらいいか?と対応に苦心したというのが本音です」

 当時、森前会長の発言は世界中からバッシングを浴び、皮肉にも「ジェンダー平等」という新たな潮流の一翼を担った。武藤氏は「事柄が事柄だけに、発言そのものを擁護することはなかなか難しいと判断した」と振り返り、新たに橋本聖子会長を選出したことについて「私は空白を最短にすることが事務総長としての役割だと思っていた」と話した。

 辞任を決意した森前会長は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏と個別に面会して後任に指名。これが〝密室行為〟としてさらに批判され、最終的には「検討委員会」で後任選びすることになった。くだんの経緯を武藤氏はこう振り返る。

「人事なので100%透明は難しいですが、衆目の一致する形で、極めて透明性の高い選任手続きを取ることができた。これが非常に重要なポイント。透明性のない形で後任が決まると、また新しい問題が生じる。そのような状況を惹起(じゃっき)することは組織委として最も避けなければならない思いでやっていた」

 穏やかな表情で回想した武藤氏。激動の8年半を終え、そのレガシーが未来へ生かされることを願っていた。