佐藤琢磨が2度目のインディ500制覇で実証した「ノーアタック・ノーチャンス」と「成長」

2020年08月24日 18時51分

 23日(日本時間24日)に行われた世界3大レースの一つといわれる米国伝統の自動車レース、第104回インディアナポリス500マイル(インディ500)で、元F1ドライバーの佐藤琢磨(43=レイホール・レターマン・ラニガンレーシング、ダラーラ・ホンダ)が3年ぶり2度目の優勝を果たした。この快挙を受けて、F1中継などでおなじみのモータースポーツジャーナリスト・小倉茂徳氏が本紙に特別寄稿。今回の勝利の意味と今後の佐藤の評価について解説した。

【小倉茂徳氏・特別寄稿】全米で親しまれる「インディ500」の決勝の入場者数は毎年30~40万人と、単日イベントとしては世界最大規模としても知られる。アメリカでは一般的に知られる国民的行事で、レースに興味がない人でも知っているほどだ。

 しかし、今年は新型コロナウイルスの影響で、開催日は伝統の5月最終日曜(戦没者記念日の前日)から8月に変更。しかも、無観客という史上初の状況で開催された。

 そんな異例づくめの開催となった今年のレースでも、参戦11年目の佐藤は決勝に向けて堅実に作業を進めていた。

 決勝の1週間前に行われた予選でも、3位につける好調ぶり。インディ500は、決勝のスタートは3台横並びとなるため、佐藤はフロントロー(最前列)の外側となった。日本人がフロントローについたのは、今回が初めてであった。

 決勝は1周2・5マイル(約4キロメートル)の長方形のコースを200周する。1周の平均速度は時速約220マイル(約350キロメートル)で、常に激しい遠心力に耐えて正確な操縦をするという、とても厳しい耐久レース的な要素が求められる。

 今回の決勝でも佐藤はベテランならではの落ち着きを見せていた。序盤から中盤まで常に上位につけてトップを狙える位置で走行。終盤となった157周目に初めてトップに立った。

 その後、168周目にピットストップを行い、最後の燃料を補給。これでゴールまで走り切る作戦に出た。しかし、佐藤より1周後にピットで燃料補給したベテランのスコット・ディクソン(40=ニュージーランド、チップ・ガナッシレーシング、ダラーラ・ホンダ)が猛追を開始。燃費とパワーを絞りながらゴールまでトップを守り抜こうとする佐藤、燃費でやや有利なところを生かして追い抜こうとするディクソン。2017年優勝の佐藤と、08年優勝のディクソンという、インディ500優勝経験のあるベテラン同士の白熱した展開となった。

「スコット(ディクソン)が第4ターン(最終コーナー)から猛烈に迫ってきていたのはわかっていた」と佐藤はレース後に振り返った。

 だが、196周目に他車のクラッシュとその処理のためペースカーが入り、レースは佐藤がトップの隊列走行となったまま200周のゴールとなった。

 佐藤はこれで1911年から続くインディ500史上10人目の2勝ドライバーとなった。インディ500を制した日本人ドライバーは佐藤だけである。

 佐藤は遅咲きのレーシングドライバーだった。現代のドライバーは10歳になる以前からレーシングカートに乗り、野球少年がリトルリーグで大成するように、小中学生くらいの年齢にはレーシングカートの選手権で活躍する。そして、小型のフォーミュラから徐々にステップアップしてくる。つまり、F3やF1に来るまでには豊富な経験を積んでいる。

 一方、佐藤は少年時代に鈴鹿サーキットでアイルトン・セナの走りを見てF1に憧れたものの、実際にレーシングカートやフォーミュラでレースをしたのは大学のころだった。

 しかし、持ち前の積極性と知的な分析力で急成長を遂げ、02年に25歳でF1にデビューした。

「ノーアタック・ノーチャンス(攻めなければチャンスはこない)」をモットーに、佐藤は常に攻めの姿勢を貫いた。それゆえのドライビングエラーもあった。F1は結果を堅実に出すことを重視する傾向もあり、そんな佐藤の攻めの姿勢は非難も受けた。

 F1で5年目となった佐藤は、鈴木亜久里が率いたスーパーアグリF1チームに加入。エースドライバーとしてチームをリードする役割も経験した。旧式車を改良したマシンながら善戦もした。

 だが、スーパーアグリF1チームは、2シーズン半で資金難から撤退。翌09年にはF1でのシートがなくなってしまった。

 そこで佐藤は新たな戦いの場をアメリカのインディカーシリーズに求めた。これは、佐藤自らの決定だった。

 アメリカのインディカーのファンが求めるスタイルは、常にアクセル全開で攻め続けるドライバー。佐藤には打ってつけだった。

 インディ500参戦3年目の12年には、最終ラップの1コーナーでトップに挑みかかってクラッシュ。2位から17位になった。それでも、米国のファンは佐藤のファイティングスピリットを称賛。インディ500で最多4度の優勝記録を持つ、インディカーの生きる伝説ともいわれるAJ・フォイト(85)も佐藤を絶賛。翌13年から4シーズンにわたって佐藤を自チームのエースとして招き、自らの伝説のカーナンバー14を佐藤に与えた。これは日本のプロ野球・巨人で言えば、背番号3を長嶋茂雄終身名誉監督から直々に与えられたような名誉だった。

 フォイトのチームでは13年のロングビーチ戦で日本人初のインディカーシリーズ優勝を記録。17年にやはり有力チームのアンドレッティ・オートスポーツに移籍。ここでインディ500初制覇を達成した。このころから佐藤のスタイルには変化と成長が見えていた。

「ノーアタック・ノーチャンス」という佐藤の攻めの姿勢は、基本こそ同じだが、攻めどころ、抑えどころのメリハリのある知的な戦いぶりがより見えるようになった。このことは、200周、約800キロメートルの長丁場で争われるインディ500では極めて有効だった。実際過去4年間のインディ500での佐藤は、優勝2回、3位1回という高成績を連発している。

 インディ500で優勝すると、レース明けの州の全米の朝のニュース番組のゲスト出演、2億円を超える多額の賞金などで、全米が知る有名人となる。

 攻めの姿勢で華のある走りで人気の佐藤は、いまや持ち前の知的なレース展開と運も呼び寄せる力を見せる。サクセスストーリーを尊ぶ米国人にとって、佐藤は憧れの存在である。今回の2度目の勝利で「タクマ・サトウ」の名はさらに全米に知れ渡るだろう。

 佐藤は今年43歳。一見アスリートとしてはピークを越えた年齢に見られがちだ。だが、佐藤はF1に乗る前からトレーナー顔負けの知識を駆使して自分の体を鍛えてきている。そのため、実年齢よりも佐藤の肉体年齢とその能力はまだ若いはず。

 もし、シリーズ全戦が厳しくなっても、インディ500だけは出る選手もいる。今年もエリオ・カストロネベス(45=チーム・ペンスキー、ダラーラ・シボレー)が4度目の優勝に標的を絞って参戦していた。F1とルマン24時間も制したフェルナンド・アロンソ(39=アロー・マクラーレンSPチーム、ダラーラ・シボレー)もインディ500に絞って参戦し、初優勝を目指していた。

 インディ500で勝つには、体力ととともに、経験、知識、レースの勘どころのすべてが求められる。そのため、ベテランになるほど有利でもある。

 100年を超えるインディ500での優勝回数記録は、3回が前出のカストロネベスを含む7人、最多の4回がやはり前出のフォイトを含む3人だけである。心技体と経験を備えた佐藤がこの記録に挑むチャンスはまだ十分にある。

☆おぐら・しげのり=1962年東京生まれ。早大卒業翌年の87年にホンダF1チームの現地広報スタッフを担当し、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ、アラン・プロスト、中嶋悟らと働く。以後、モータースポーツジャーナリストとしてF1、インディカー、WEC(世界耐久選手権)、国内レースなどを取材。DAZNでのF1配信番組で解説も行っている。モータースポーツ界に30年以上従事し、ドライバーやチーム関係者との親交も深い。