東日本大震災が引き金となり東京電力福島第1原発の1号機で水素爆発が起こってから、12日で4年を迎えた。同原発での相次ぐ爆発や深刻な放射性物質の放出にもかかわらず、メルトダウン(炉心溶融)をなかなか認めなかった東電と政府。当時、経産省原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会に統合)の記者会見でスポークスマンを務めたのが“ミスター保安院”こと西山英彦氏(58)だった。その風貌も関心を呼んだ西山氏は現在、何をしているのか?

 1号機に続いて3月14日に3号機でも水素爆発が起こった3・11直後の福島第1原発。世界を震撼させた原子力事故で、担当官庁として対応したのが経産省だった。当初の会見で、多くの国民らが懸念したメルトダウンの可能性に触れた中村幸一郎審議官(当時)が更迭に。その後にもう1人をはさんで、3人目の会見担当として西山氏が送り込まれた。

 あれから4年、2013年に経産省をやめた西山氏はどうしているのか――。

「西山氏は退職後、大手自動車部品メーカーに再就職しました。今は監査部主査を務めているようです。東大卒のキャリア官僚でしたが、真面目で腰が低く、不倫報道の時は省内でも意外という驚きと同時に同情的にも見られていました」(経産省関係者)

 経産省のキャリア官僚ともなれば、世の中が不況とはいえ、普通のサラリーマンよりは再就職に困らないだろう。西山氏の転身について、永田町関係者は「経産省管轄の業界への再就職では“天下り”とみられても仕方がない。退職時に5000万円前後の退職手当も出ているわけですから、悠々自適のセカンドキャリアといっていい」とバッサリ。

“本当のこと”をしゃべったばかりに会見担当の座を追われた中村氏とは対照的に、3月13日から会見を仕切った西山氏は報道陣から核心を突かれてもポーカーフェースでのらりくらりの対応で、過熱する事故報道の沈静化を担った。

 ひょうひょうとした語り口で追及をかわし、4年後の現在も深刻な状況をもたらしている汚染水の処理施設について「耐震性をチェックしていただきたい。外への漏洩につながらない仕組みを作ってほしい」と、人ごとかのような発言で報道陣の突っ込みを受けたことも。安全対策は一義的に東電の仕事だとしても、事故処理能力に疑問も投げかけられていた東電に対し、監督官庁として当事者意識を欠いていると受け止められた。

 それでも西山氏の調子は変わらず、会見が連日のようにテレビで報じられたことで“ミスター保安院”なるニックネームも。頭髪への“疑惑”まで関心を呼び、ネット上では人気者と化す。

 ところが、就任から3か月後、週刊誌に20歳年下の経産省女性職員との“不倫路チュー”が報じられた。厳重注意処分を受けた西山氏は、会見担当を更迭に。

 路チュー以外の不倫実態も明らかとなり、1か月の停職処分を受け、環境省に出向。福島除染推進チーム次長に就任したが、地元からの反発の声にさらされ、現地ではなく、東京勤務を余儀なくされた。結局、西山氏は13年にひっそりと経産省を退職していた。

 保安院の事故対応会見については先月、政府の事故調査・検証委員会が関係者を聴取した「聴取結果書(調書)」の一部が追加公開され、中村氏更迭の経緯が明らかになっている。

 保安院の根井寿規審議官(当時)が証言したもので、中村氏がメルトダウンの可能性に言及した後、会見担当を外れたのは、「寺坂(信昭)院長に呼ばれ『官邸から中村審議官を会見から外すよう言われたので根井君から言ってくれないか』と言われた」と語っている。中村発言に懸念を示した首相官邸側の指示があったと認めた。

 4年の月日が過ぎても原発事故は収束の見通しがつかず、当時の出来事もすべてが明らかにはなっていない。霞が関を去った西山氏は何を思うか――。