【前田日明(19)】 1987年6月12日の両国国技館大会で、新日本に戻ってきた長州(力)さんが世代闘争を提唱した。あの時、誰が何を話すか決まってたんだよ。最初長州さん、次に藤波(辰爾)さん。でも2人とも何を語ったか全然わからない。会場が「今、なに言ったんだ?」って。だんだんアホらしくなって「誰が一番強いか決まるまでやればいいんだよ」と言ったんだ。
あのころはユニバーサル(レスリング連盟=UWF)の影が薄くなると新日本に吸収されてしまうから、まずいなとは思っていた。さらにまずいことがあって、それは全日本プロレスの天龍革命(※1)。すごかったんだよ。天龍(源一郎)さんが輪島(※2)に対してリングシューズのヒモの痕がつくくらい激しくやっていた。だからUWFに注目させないと、どうしようもないなって思いは抱いていた。
どんどん俺たちも取材されなくなり、テレビ朝日から来ていた辻井(博=会長)さんが「来年からは個別契約しかない」「お前ら(UWF)入っても観客動員が増えない」と。それで藤原(喜明)さんと木戸(修)さんが動揺して契約しちゃったんだよ。俺にも打診はあったけど「できません」と断った。俺が個別契約したらUWFのフロントや新弟子は、どう食っていくんだと。だから俺はどのみち次の年には、新日本を辞めていただろうね。
そんな状況下で起きたのが87年11月19日の後楽園大会での「長州力顔面蹴撃事件」って言われてるんだけど…ただのカットプレーじゃん、あんなの。ちゃんと肩を叩いて「蹴りますよ」って前蹴りしただけの話。何が違うかって、他の人はジッとしてるのに、長州さんは下を向いちゃったんだよね。それで目に入ってしまって眼窩底を骨折してしまった。
謹慎処分となってから「メキシコへ行け」って言われたけど断った。結局(アントニオ)猪木さんにも「プロレス道にもとる」とクビになった。でも、謹慎中に猪木さんから代官山に呼び出されて飲みに行ったりもしたんだよ。あのころの猪木さんは自由に発言できる立場でなかったから本心は分からないけどね。
辞める覚悟はできていたけど、かといってUWFが興行をやるような話題性はなかった。実際、蹴撃事件がなかったら注目もされずに終わってたと思う。でも新日本をクビになったらマスコミも大騒ぎになってさ。だから狙ったわけではないけど、あの事件は後の新生UWFが注目を集める導火線になったんだよね。
※1天龍が1980年代後半に全日本マットを活性化
※2大相撲の元横綱、プロレスラー
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












