【前田日明(9)】俺のデビュー戦は1978年8月25日、相手は山本小鉄さん(※1)だった。後に本人に「何でですか」と聞いたことがある。そうしたら「誰に頼んでも断られた。『アイツは何をするか分からないから嫌だ』と言われて、しょうがないから俺がやったんだ」って。
入門当時の体重が73キロだったんだけど、1か月練習していたら68キロまで落ちた。そこから1年頑張ってデビュー時には92キロになっていた。会社からも「デビューしなきゃいけない」と言われて、新間寿さん(※2)が入門前に「ちょっと試合してくれたらいいから」と話していたのは、これかなと。当初はボクシングを学ぶはずだったけど「まあプロレスしかないよな」ってやったんだよ。
デビュー戦はもう無我夢中。気が付いたら終わっていた。3カウントではなく腕絡みでギブアップ負け。まあ大変だったよ、小鉄さんも。腕極めるまで俺がギブアップしないんだもん。ようやくデビューでき、新日本に世話になっているから「ちょっとずつ返していかないとな」と思ったのを覚えてる。
小鉄さんは練習の先頭に立って、若い人間と同じメニューを正確にキッチリやる人だった。みんなヒンズースクワットのことをよく言うんだけど、ハッキリ言って本当にフルスクワットをやったのは(アントニオ)猪木さん、小鉄さん、藤原(喜明)さん(※3)、藤波(辰爾)さん、小沢(正志)さん(※4)、大城(大五郎)さん(※5)、栗栖(正伸)さん(※6)、佐山(聡)さん(※7)、船木(誠勝)と俺くらいですよ。
小鉄さんにはデビュー戦以外も、お世話になった。練習も指導してもらったし、練習が終わったら大きめのドンブリで「5杯食え」ってノルマがあった。最初はキツイ練習したら食欲なくなるんだけど、小鉄さんは俺が5杯食べるまで、ビール飲みながらずーっと目を光らせて見てるんだよ。体が大きくなったのはそれのおかげだね。私生活とかないんじゃないかってくらい、熱心に後輩を指導してくれた。
入門2年目くらいに親父(正雄さん)が十二指腸潰瘍で腹膜炎を起こし、手術することになって1回家へ帰った。その時、小鉄さんが「これ持っていけ」ってポケットにバッとカネを突っ込んでくれて。見たら50万円くらい入ってたんだよ。すごく後輩思いの人だったけど、怒るときは思いきり怒る。本当に厳格な人だったね。
※1「鬼軍曹」と呼ばれた元プロレスラー
※2元新日本専務、元WWF会長
※3「関節技の鬼」と呼ばれたプロレスラー
※4「キラー・カーン」のリングネームで海外でも活躍
※5プロレスラー、キックボクシングから転向
※6「薩摩の荒法師」と呼ばれた元プロレスラー
※7プロレスラー、初代タイガーマスク
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












