【山本美憂もう一息!(4)】1987年6月、女子レスリングで初めての公式試合「女子オープントーナメント」が開催されました。福田富昭さんの仕掛けで全日本女子プロレスの選手も参加。当時大人気のクラッシュギャルズ(※1)も観戦に訪れ、報道陣も多く集まりました。中学1年生になった私は44キロ級に出場。1試合に勝ち、準決勝で吉村祥子さん(※2)と対戦しました。

 祥子さんは大学生。とにかく力が強かったですね。一方の私は中学1年生。力なんてまったくありません。あれよあれよとポイントを取られて、1ピリオドでテクニカルフォール寸前まで差を広げられました。心のなかでは「もういいよ、負けていいよ」と思っていましたが、ホイッスルに救われ2ピリオドに突入。当然あっけなく負けました。吉村さんは決勝も勝って優勝しました。

 試合が終わるとすぐに母(憲子さん)の所へ走っていき、悔しくてヒザの上で泣きました。次は負けたくない。10月には、女子では記念すべき第1回の全日本選手権が開催されます。短い間にどうやったら祥子さんに勝てるか、父(郁榮氏)と猛特訓がスタートしました。

 父のすごいところは、力で負けたからといって、私にもっと力を付けようとしなかったところです。「スピードで勝つしかない」と。タックルのスピードをどんどん上げて、動いていけばいい、という作戦でした。とにかくたくさん練習しました。夏休みも、日体大にマットを敷いて、毎日午後1時から5時まで練習。休みなんてありませんでした。

 多くの人に女子レスリングを知ってもらいたいという福田さんの考えで、第1回全日本選手権は準決勝までを別の会場で行い、全階級の決勝は後楽園ホールで全女のリングの上で実施しました。決勝に進出した私も、後楽園ホールで戦うことになりました。全女のリングの支柱を取り、マットを敷く形。プロレスラーも参加していて注目を集めていましたが、私はそれで緊張することはなかったです。当時、女子レスリングは全女と提携していたので井上貴子さん(※3)とかが代々木クラブで普通に練習していましたから違和感はありませんでした。

 それに、とにかく嫌になるほど練習したので、早く試合がしたかった。祥子さんに負ける気が全くしなかったのです。決勝の相手はやはり祥子さん。大接戦になりましたが、4―3で勝利。「勝てた!」と大泣きしました。

 優勝者は、第1回世界選手権(ノルウェー)の出場権が与えられました。しかし、年齢の壁が私の前に立ちはだかるのです。

 ※1 全女で大人気だったライオネス飛鳥と長与千種のタッグチーム

 ※2 日本女子初の世界チャンピオンで現日本協会強化副委員長

 ※3 人気女子プロレスラー

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。