【山上徹二郎 40年目の春】02年公開「チョムスキー9・11」米国はここまで大きな〝テロ国家〟だったのか…

2022年04月24日 10時00分

右からノーム・チョムスキー、ジャン・ユンカーマン監督、筆者(マサチューセッツ工科大学のチョムスキーの研究室にて)
右からノーム・チョムスキー、ジャン・ユンカーマン監督、筆者(マサチューセッツ工科大学のチョムスキーの研究室にて)

「チョムスキー9・11」は2002年9月に公開したドキュメンタリー映画だ。01年9月11日のニューヨーク同時多発テロと、その直後、米軍“主動”で行われたアフガニスタンへの一方的な報復攻撃に衝撃を受け、言い知れぬ不安に動揺していた時、ジャン・ユンカーマン監督とともに製作を決めた作品だった。

 テロリストに乗っ取られた民間の航空機が乗客を乗せたまま、ニューヨークの貿易センタービルに次々に突っ込む映像が繰り返しテレビで流された。米国内の愛国心の高まりを背景に、当時のブッシュ大統領はテロリズムへの闘いという“大義”を掲げて、アフガニスタンへの爆撃を正当化した。

 同時に「我々の側につくのか、あるいはつかないのか」という二者択一を迫る思考の単純化という暴力が世界を席捲した。それは私自身にも向けられたものだと、恐怖を感じた。

 その時知ったのが9・11に関するノーム・チョムスキーの発言だった。同時多発テロは何故起こったのか。その背景には、過去米国がどれほど強権的な暴力を弱者である貧しい国々に対して行使してきたのかという事実を分析し、説得力のある情報として提示していた。

 そこには、比較にならないほど大きなテロリズムを行ってきた国家としての米国の姿が描かれていた。チョムスキーのその分析はまさに乾いた大地に沁み込む慈雨のように、滞っていた私の思考を覚醒させた。

 チョムスキーのインタビュー映画を作り、映画を通して彼の発言を伝えたいと思い立った。ユンカーマン監督と話し合い、1年後に公開することを決め、すぐにチョムスキーへメールを書いた。

 数日後に返事があり「短い時間であればインタビューを含めた取材に応じることができるかもしれない」という返事がチョムスキー本人から直接送られてきた。彼の元には膨大な量のメールや依頼があるだろうと想像しながら、日本の片隅から来た1通の見知らぬメールにさえ、即座に返事を書く彼の誠実さに心打たれた。すぐに撮影機材を持って、ボストンのマサチューセッツ工科大学にあるチョムスキーの部屋を訪ねることにした。

「チョムスキー9・11」は映画完成後、7か国語に翻訳され、世界中で見られることになった。

 01年の報復攻撃により崩壊したタリバン政権は昨年再びアフガニスタンを掌握した。20年を経て、結局米国は実質的な敗北を喫することになったのだ。今も繰り返されている大国の振る舞いだ。

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