“博多のおいさん”が、本当のおいさんになる!? ヘルメットに作業着、こてこての博多弁で親しまれる吉本興業のピン芸人・マサル(39)が、ある悩みを抱えている。「いつヘルメットを脱ごうか問題です」。売れない時代の解体現場から生まれたキャラクターを演じ続けてきたが、間もなく40歳。“おいさん”が、笑いにあふれた半生とこれからを語った。
生まれも育ちも福岡市。マサルは博多祗園山笠に祖父に抱かれて0歳から参加し、物心ついた頃にはすっかり山笠の中にいた。「気づいたらケツ出して走ってた」と笑う。以来、一度も途切れることなく出続けている。中学の卒業式では、ほとんど話したことがなかった数学教師から突然、両手をつかまれ、「お前は吉本に行け!」と言われた。当時は芸人になるつもりなどなかったが、後にその言葉通り吉本入りすることになる。
高校中退後は飲食店や建築関係の仕事を経験し、18歳で中洲のクラブのボーイになった。新店に移ると、店長が3か月ほどで突然いなくなり、19歳で後を任された。働く女性はほとんどが年上。「言うこと聞くわけないですよね…」。睡眠2、3時間で店を切り盛りし、当時のグループの最高売り上げを更新した。年収は約500万円。「めっちゃ分厚い経験にはなりました、僕の人生の中で」と振り返る。
24歳で中学の同級生に誘われ、コンビ「スーパーワン」で吉本興業のオーディションに合格した。ところが、年収は500万円から1万7000円に激減。仕事は月1回のライブ程度で、昼は解体、夜はラーメン店で働いた。「一番きつかったです」。だが、笑いのヒントはその解体現場にあった。
休憩中、詰め所に集まる博多のおいさんたちを眺めていると、何げない話でゲラゲラ笑っている。「めちゃくちゃしょうもないことで笑ってたりするんですよ。それが、めちゃくちゃ面白いやん、この人たちみたいな」。作業着にヘルメット、こてこての博多弁。身近な職人たちをヒントに“博多のおいさん”が生まれた。2016年にコンビを解散してピンになると、この姿で本格的に勝負。「おるおる、こういうおじさん」を笑いに変えてきた。
17年には3代目福岡県住みます芸人に就任した。生粋の福岡育ちだけに「僕は福岡生まれ福岡育ちの“住んでます芸人”なんですよ」。引き受けた理由はシンプルだった。「福岡をめっちゃ盛り上げたかった」。現在はFBS「めんたいワイド」に加え、今年4月からTNC「ももち浜ストア」の冠コーナー「博多のおいさんが!」にも出演する。街で「いっつも笑かしてもらいようよ」「元気もらいようよ」と声を掛けられることが「一番うれしい」と喜ぶ。
そんな“おいさん”にも39歳の今、“ヘルメット問題”がつきまとう。20代後半から演じてきただけに「年齢が追いついて、ただの本当のおいさんになってくる」。「脱ぎたくないって気持ちもあるし、そろそろ脱がないとって気持ちもある」。さらに悩ましいのが、「脱いだら誰か分からんっていうのもある」。5年後、10年後もメディアに出続けるため、ヘルメットの色や形を変えるなど「いろんな工夫」も考えている。
東京進出の考えは「全くない」。たとえ大きく売れても福岡で暮らし、仕事があれば東京へ通う。「これからもいろんなことに挑戦し続けます」。大切にしていきたいのは、持ち味の親しみやすさだ。「近所のおじさんぐらいの感覚で見ていただいたらうれしいです。日頃、ノーヘルでも声かけてください」――。














