【女子ボートレーサーインタビュー 山下奈緒(31=大阪)前編】

 ――ボートレーサーを目指したきっかけは

 山下 小さい時に親戚が丸亀に住んでいて、その時にまるがめボートに連れて行ってもらったのがボートレースとの最初の出会いです。その時は幼かったのであまり現実的ではなかったんですけど、小学生の時に幼なじみとそのお父さんと行った住之江ボートで観戦した時に「ボート選手っていいな」って思うようになって…。それから選手になることを意識するようになりました。

 ――実際にボートレーサー養成所の試験を受けようと考えたのは

 山下 高校生の時に就職をどうするかという時期になって働くなら選手になるのもいいかなと思ったんですけど、柔道で大学の推薦がもらえたんです。それで大学の4年間、柔道を頑張って、それでも選手になりたい気持ちがあったら試験を受けようと思いました。その気持ちが変わらなかったので大学4年生の時に1回試験を受けたんですけど、落ちちゃって…。それで就職することにしました。

 ――就職先は

 山下 スポーツメーカーです。一度は働いてみたいと思っていた仕事だったので、それもいい経験でした。でも、レーサーになりたい気持ちがあったので、2回目の試験を受けて、それで合格しました。

 ――試験を突破して迎えた養成所の生活は

 山下 小さい時から柔道をやっていたので練習とか訓練は特にきつくはなかったんですけど、ずっと同じ景色の中にいて外出もあまりできない閉じ込められたような生活はしんどかったですね。今となってはいい思い出とか、振り返ったら楽しかったこともたくさんありますけど、当時はとにかく早く出たい、早く卒業したいと思っていました。

 ――デビュー当時の心境は

 山下 柔道では小学生の時は大阪府、中学生の時も香川県で1位でしたし、高校は広島の高校に行ったんですけど、そこでも県で1位でした。ずっと自分が追われる立場だったんですよ。それが自分が追いかけていくという全く逆の立場になって違う世界に来た感じでしたね。今でも全然まだまだですけど、一日でも早く周りの人に追いつきたい、追いつかなきゃと思ってやっていました。

 ――そういう環境を楽しめた

 山下 楽しめたかというと何とも言えないですけど、嫌ではなかったですね。自分はチャレンジャーだから「当たって砕けろ」の精神で挑むだけだと思っていました。だから、デビュー戦とかもあまり緊張はしなかったですね。

 ――デビューしてしばらくはFに苦しんだ

 山下 ほとんど毎期のようにFを切っていて、それでスタートが怖くなりました。今でも怖いですし、スタートはずっと課題です。当時は何も考えずにレースに乗ってるような感じで、それでFを切ったりして…。師匠にもいろいろと教わって、今はもっと頭を使って考えてレースするようにはなりました。

 ――その師匠は上條嘉嗣と上條暢嵩の上條兄弟。師事したいきさつは

 山下 当時の大阪支部は「家が近い人を師匠にする」という決まりというか、ルールみたいのがあって、それでお二人に弟子入りしました。結果的には幸運でしたね。本当に素晴らしい師匠ですし、同じグループの人はみんな活躍してますからね。(高憧)四季ちゃんとかもすごいですよね。私もグループのみなさんに追いつきたいと思っていますし、みなさんの活躍が刺激になってます。同じグループの岡村仁さんにもいろいろとアドバイスをもらっています。