元日本テレビキャスターの真山勇一氏(82)が、明治から昭和30年代初頭までの映像で構成されたドキュメンタリー映画「残されたヘッドライン」(17日公開)で、映画ナレーションに初挑戦した。日テレ時代、イラン・イラク戦争やカンボジア内戦、9・11米同時多発テロを現地取材した真山氏に、伝えることの大切さ、AI時代のキャスターやアナウンサーの存在意義などを聞いた――。

 ――同作は明治から昭和30年代初頭までに撮影された「戦争」「災害事故」「風俗文化」など日本のニュース映像をまとめたドキュメンタリー。真山さんはナレーションに初挑戦した

 真山 テレビを離れて(参議院)議員をしていたこともあって、声の仕事は数十年ぶり。限りある映像で作りましたけど、監督とも話し合い、意見しながらベストの作品ができた。戦後80年を迎えて、ほとんどの人は戦争を知らない時代になっている。風化という言葉がありますけど、作品前半の明治、大正から戦争につながっていく歴史がある。実際の映像に触れて若い人はもちろん、全世代の方に日本を知ってもらいたい気持ちです。

 ――日テレ時代、イラン・イラク戦争やカンボジア内戦などを現地取材

 真山 イラン・イラク戦争では1979年から80年の半年くらいテヘランにいました。夜間統制で電気はつけられないし、滞在していたホテルは窓に真っ黒な紙を張っていた。国境取材では泊まっていたホテルが爆撃されて、地下室に逃げたことも。今もアメリカ、イスラエルとイランとの紛争で、テヘランの様子が報じられてますよね…。カンボジア内戦では、地雷がまかれた畑に入ろうとしてしまってヒヤッとした経験もあります。アフガニスタンを取材したときはゲリラに機関銃を向けられました。

 ――命の危険だ

 真山 ゲリラの基地に連れてかれて、「日本はどういう国なんだ?」と雑談も。日本は戦争しない国と知っていて、「お前たちを俺は殺さない。帰す」と言われて日本を知っていたことに驚きました。死の危険に直面してきましたけど、私はジャーナリストとして伝えるために現地を知らないといけないと思っていた。今回のドキュメンタリー映画も、私の経験が生きたと思います。

真山勇一氏からのメッセージ
真山勇一氏からのメッセージ

 ――1992年から「NNNニュースプラス1」メインキャスターとして、広くお茶の間に知られた。今のアナウンサーやキャスターはどう映っていますか

 真山 私がキャスターを務めていた時、一番大事にしたのは自分が現場へ出掛けていくこと。見たもの、感じたものを言葉にして伝えようということを大事にしたけれども、今のキャスターはほとんどがスタジオにいて、現場には出ない。テレビ局も補償などの関係で一時期は戦場に記者を出せず、フリーランスに頼っていた。少しまた記者が出ていくようになってるけど、キャスターは依然として現場に行くことはない。私にはやっぱりキャスターの言葉は心に響かないですね。

 ――今はAIアナウンサーも登場。アナウンサーやキャスターの不要論も叫ばれている

 真山 テレビのニュースを見たとき、「次のニュースはAIでお伝えします」というアナウンサーを見てあぜんとしました。AI技術を試したいという思いがあるのは理解できますが、そのアナウンサーの気持ちを知りたかった。AIに代えられてしまうのでは。僕らの時代は〝マスコミ〟という言葉があったけど、今はあまり使われなくて、〝メディア〟ですよね。昔は個人は発信できる手段がなかったけど、今はSNSで発信できる。トランプ大統領のSNS発信に、ニューヨーク・タイムズとかワシントン・ポストはかなわないですよ。ネットで発信すれば、それがマスコミになる。

 ――ニュースを伝えることが難しくなる

 真山 トランプ大統領でさえ、何が本当で何がうそかわからない。人が伝える必要性はない。〝AIでいい〟と言われる社会が来るのでは、と思っています。