直木賞作家の伊集院静さん(本名・西山忠来=にしやま・ただき)が24日、亡くなった。73歳。妻で元女優の篠ひろ子さん(本名・西山博子=75)が所属事務所を通じて公表した。肝内胆管がんの治療を受けていたが、回復にいたらなかった。伊集院さんと言えば、無類の博打好きで有名。人生にも精通する〝ギャンブル哲学〟とは――。
「どうして自分だけがこんな目に遭うんだろう」
「もしかして運がないのだろうか」
生きていれば、誰もそんなふうに思うことがあるだろう。24日に亡くなった作家の伊集院静さんは、ベストセラー「大人の流儀」の中で「己を不運と考えた瞬間から生きる力が停滞する」とつづり、かつて取材ではこう語っていた。
「『不運だ』ってことは、ある結論に見えるんだよ。ひと言で終わってしまう。『運がねえな』って思ったところには出口がない。どん詰まりだ。いったん『不運だな』と考えたら、どんな状況にも対処できなくなるし、そこから抜け出せなくなるから、『いや待て待て』『不運とは思わない方がいい』という考え方をした方がいいんだよ」
「東スポの読者が大好きな賭け事だって同じだろう? 長く続けられるやつは、自分で出口を作ってるんだ。賭け事っていうのは何かの拍子に『これは当たる』『間違いない』って思うことがあって、どこかから金を引っ張ってくる。それで負けると『俺って運がねえのかな』ってなるの。でも、負けると思ってないからそうなるわけで、長く続けられるやつは、自分の中で『当たることもあるし、当たらないこともある』という考え方をする。『こういうこともあるさ』という感情をうまく作れる」
伊集院さんのギャンブル哲学は人生にも通ずる部分がある。
「ギャンブルが長続きするやつは、『この前の(負け分)を取り返す』という発想もしない。これを人生に置き換えると、定年前の肩書きだとか、いろいろと持っていたものを『取り返そう』と思うから『(取り返せないのは)不運だ』となるわけだ。逆に、『もともと俺は、何にも持ってなかった』『就職する前には何もなかったんだから』ってところに戻れたら何でもできる。『ゼロに戻っただけ』だと考えればいんだ。ゼロっていうのは運不運がないものだから」
〝何も持たない者〟の強みを生かせ、というわけだ。伊集院さんはこうも語る。
「ただ、達観しろと言っているんじゃない。例えば年を取った人で言うと、道徳心や正義感をよりどころにすると良くない。それこそ風俗に行って、『どうしてこんな人が現れたんだろう』『写真の人と違う』ってことがあるだろう? そういうときに『違うじゃないか』と言えない人が多いんだよ」
「その変な道徳心っていうのが一番いけないの。道徳心が裏切られたとき、人は『不運だ』って言い始めるんだ。だから、定年した人は風俗行っても『この女は違う』って言わないとダメ。若いやつと違い、一生懸命働いてきたあなたにはそれを言う権利がある。道徳心なんてくそくらえという発想とパワーで生きていってほしい。居酒屋で飲むにしても、隅で静かにしてるんじゃなく、大きな声を出さなきゃ」
ともすれば〝暴論〟に聞こえるかもしれないが、伊集院さんの言葉には人間の欲の本質が詰まっていた。












