少年隊で活躍し、現在俳優・演出家として活動の場を広げる錦織一清(57)が今月1日に「少年タイムカプセル」(新潮社)を刊行した。本作が自身初の自叙伝となり、生い立ちから少年隊でのエピソードなどをつづっている。このほど錦織がインタビューに応じ、恩師である故ジャニー喜多川さんとの秘話、また古巣のジャニーズ事務所への思いを語った。

――出版のきっかけは

 錦織 退所してから自分の中身を知ってほしかったというのがある。良くも悪くも誤解があったと思う。(アイドル当時)よく言われたのがスポーツカーに乗ってそうとか。とっつきにくいイメージが先行してたけど実際に乗ってた車は国産のセダン(笑い)。外車も1回も買ったことがないんですよ。

 ――改めて少年隊を振り返って

 錦織 少年隊というグループはジャニー喜多川の理想とすごく合致するところがある。デビュー前からアメリカに連れて行ってもらい英才教育をしてもらった。ジャニーさんのやりたいこと、アーティストとして必要なことを注ぎ込まれた。ジャニーさんの生きざまが反映されていた部分も多かったと思う。

 ――ジャニー喜多川さんの最高傑作と言われた

 錦織 僕の中でリーダーはジャニーさん。僕らは1度も(東山紀之、植草克秀と)3人で話し合って決めたことはないですね。常に議長はジャニーさん。

 ――ジャニーさんが亡くなって思うことは

 錦織 ジャニーさんの家が合宿所で毎晩のようにレコード会社、テレビ局の人がひしめくように通ってくる。みんなジャニーさんのショービジネス的な感覚を学ぼうと思って来てるわけですから。クレジットはされてなくてもアドバイザーとして各局の歌番組という歌番組にアイデアを出しているはずです。日本の芸能界の宝だと思います。

 ――演出家としてジャニー喜多川イズムを継承している

 錦織 ショービジネスとしてはジャニーさんとしか組んだことがない。芝居としてはつか(こうへい)さんから学ばせてもらった。両者ともに思うのが(公演の)初日が始まって、それで終わりじゃなくってずっと諦めない。おかしかったり、自分が飽きてきたら(演出を)変えますよね。

 ――2人からの影響が大きい

 錦織 似てたんですね。ジャニーさんは欧米のエンターテインメントの影響が強く、つかさんのお芝居はドメスティックなイメージ。だけどそこにあるスピリチュアルは似てるんだなと思って。

 ――スピリチュアル的な部分とは

 錦織 僕らと一緒にショーをやってるんですよ。ジャニーさんは客席からブロックサインを出して。つかさんは舞台袖にずっといて反応を見てる。お客さんの反応が悪かったら「セリフを変えて行ってこい」とか。一緒に作ってるんですよね。

 ――退所の理由としてジャニーさんの死が大きかった

 錦織 大きかったですね。亡くなる2年前に電話でジャニーさんと久しぶりに話をして。僕に起こってる状況を相談して分かっていただいたり。今だから言える話ですけど、辞める辞めないのこともその時に相談してます。

 ――幹部として会社に残る選択は

 錦織 ジャニーさんと同じで僕は根っから現場の人間。なので滝沢(秀明)から井ノ原(快彦)に(ジャニーズアイランドの)代表者が代わったとかはあんまり興味がない。それよりはジャニーさんがいない今、誰がショーを作るのか。それは気になるところですね。

 ――退所し思うことは

 錦織 今でも胸を張って言いたいのはどのプロダクションよりもジャニーズ事務所が一番好き。だけど、それだけだと僕の片思い。そろそろ会社としては俺のことが重いかなとか。肩たたきに来なくても、なんとなく自分として感じてということですかね。

 ――今後は

 錦織 少年隊というグループは通過点だと思ってる。それが大事なんじゃなくてそこから先、違うものにもなるんじゃないかなと。自分のことを楽しみにしたいですね。

 ☆にしきおり・かずきよ 1965年5月22日生まれ。東京都出身。12歳でジャニーズ事務所に入所。85年に少年隊で「仮面舞踏会」でレコードデビュー。翌年、青山劇場でミュージカル公演「PLAYZONE」をスタートさせ、2008年まで毎年公演を行った。20年にジャニーズ事務所を退所。現在は俳優、演出家として活動。