写真家・野村誠一氏(71)が50年のキャリアで初めて自身の写真展(3日からライカギャラリー東京、4日からライカギャラリー京都)を開催する。ピンク・レディーや宮沢りえから元横綱朝青龍まで手掛けた写真集は400冊以上。“グラビア界のレジェンド”がなぜ今、写真展を開くのか。その胸中、そして撮影秘話を聞いた。
――今回の写真展はライカカメラジャパンが主催
野村 僕のユーチューブチャンネルでライカカメラの魅力を発信していたら、先方から「『ライカスタイルマガジン』で野村さんを特集したい」とオファーされたのがきっかけ。そこから今回の写真展の話につながった。とても名誉なことだし、ビックリ。これまで僕が使っていたのはキヤノンだったから。
――キヤノンの方がグラビアに向いている
野村 そうなんですよ。ただ、2021年に悪性リンパ腫のステージ4で入院していたときに、ライカに夢中になってしまって。当時はもう自分は生きられないと思っていたから「こんなすごいカメラを使わないで人生終わるのか」と思っていたら寛解した。
――なぜ、50年間写真展をやらなかったのか
野村 自分はどこまでも商業カメラマンという意識があった。でも入院中、個展一つ開いていないことに後悔したんだよね。そしたらライカさんから今回のお話をいただいたので、やらせていただいてもいいかと。
――キャリア50年、失敗もある
野村 一発目の写真集からありますよ。
――いきなり!?
野村 女優の桂木文さんのマネジャーと話をして、ヌード写真集の了解を得たので撮影をパリでする事になった。自分にとって、初めての写真集でもあった。パリに来て2日目で、その撮影を始めたら、マネジャーが唐突に「ヌードは聞いてない」と言いだした。編集者からも、野村さんどうなってるか?と責められ、その時点で写真集の話がなしになった。結局、全ての経費を自分が支払うことで話をつけた。
――でも出版された
野村 帰国して1か月が過ぎて、事務所社長がどう考えても野村さんがウソをついてるとは思えない、そんなに支払いをして、今に至るのは、嘘と思えないとなった。その写真集は発売され、ベストセラーになった。
――ほかにもある
野村 2008年に当時横綱だった朝青龍さんの写真集を出した時のこと。「負けたら引退」とメディアで報じられていた時期で超ピリピリしていてさ。取組前の支度部屋にいた横綱の緊張した表情が良いからシャッター切っちゃったんだよね。そしたらギロッとにらまれて「やべー、殺される」と(笑い)。
――表情が良いと本能でシャッターを切ってしまう
野村 そう。GACKTさんが07年に大河ドラマ「風林火山」で上杉謙信役で出演した時、走る馬に乗って相手に刀を振り下ろすシーンがあった。プロデューサーは安全を考えてカット割りすると言うと、GACKTさんがこう訴えたんだよね。「オレはこの重要なシーンのために10日間命懸けで練習してきた。カット割りしたら迫力が出ないだろう」と。どちらも譲るに譲れない緊迫感の中、2時間近く過ぎた。GACKTさんの、その時の表情、真剣な表情が素晴らしく、思わずシャッターを切った。ドラマのシーンも感動的なシーンとなった。無事撮影が終わり、その後一緒に食事した時「野村さんも大した男だねえ。普通のカメラマンだったらその場でぶん殴っているよ」と言われたよ(笑い)。でも素晴らしい写真が撮れた。
――今回の写真展もいろいろな“一瞬”を捉えている
野村 楽しみにしていてください。
☆のむら・せいいち 1951年4月20日生まれ。群馬県出身。71年に東京写真専門学校を卒業後、広告代理店を経てフリーに。女性ファッション誌「若い女性」(「ViVi」の前身)でキャリアを重ねた後「週刊プレイボーイ」でグラビアに進出。それが話題を呼び、さまざまな雑誌の表紙・巻頭カラーのグラビアを担当する。今回の写真展「A Half Century―The World is Filled with Splendid Things.」は東京、京都ともに5月20日まで。














