東京都知事や国会議員、そして作家としても活躍した石原慎太郎さん(享年89)が他界して2月1日で1年を迎える。“文士・石原”に迫った評伝「太陽の男 石原慎太郎伝」を20日に発売した元都知事で作家の猪瀬直樹参院議員(76)がこのほどインタビューに応じた。2007年から5年間副知事として支え、その後も公私にわたって親交のあった“太陽の男”はどんな人間だったのか。知られざる仰天エピソードとともにお届けする――。
――今回、なぜ石原さんの作家評伝を
猪瀬 石原さんが亡くなられて編集者から「書いてほしい」とオーダーがあった時、「作家としての素顔を知っているのは僕ぐらいか。書く責務があるな」と。そもそも石原さんの作家としての評価が低すぎるからね。
――たしかに都知事のイメージが強いかも
猪瀬 世間的には芥川賞受賞作「太陽の季節」で知られるけど、それ以外にもすばらしい作品はたくさんある。三島由紀夫さんも石原さんから大いに刺激を受けていたんだから。特に三島さんの「鏡子の家」という作品は、石原さんの作品「亀裂」からヒントを得たものだった。石原さんは死ぬまで原稿を書いていたし、生来の作家だった。そこは正当に評価をする必要があると思った。
――副知事前に親交は
猪瀬 そんなにない。2002年に小泉内閣で道路公団民営化委員を務めたんだけど、当時の行政改革担当大臣だったのが長男の伸晃だった。だから、僕が道路族議員と戦って道路公団を民営化したのを知っていた。
――それで副知事を打診された
猪瀬 ある日、石原さんから「会いたい」と連絡を受けたの。僕は「ペルソナ 三島由紀夫伝」が話題になっていたし、石原さんは三島さんとも交流があったから、てっきりそんな話でもするのかと思っていた。そしたら「副知事やってくれないか」と頭を下げられて面食らった。
――なぜ自分が指名されたと
猪瀬 作家はクリエーターだから、これまでにない発想ができると期待されたんだと思う。特に東京都は巨大な官僚機構でしょ。そこを変えるには、今までの考え方じゃダメなんだ。
――実際、石原さんは大胆な政策を実行した
猪瀬 ディーゼル車の排ガス規制を打ち出した時は、会見で真っ黒いススの入ったペットボトルを振り回したよね。それに東京マラソンを創設して、都民の健康を増進させたし、普通の価値観じゃできないよ。
――2012年には当時の猪瀬副知事も走った
猪瀬 その時65歳。マラソンに挑戦するのも初めてで、毎日ランニングしていた。そしたら、石原さんも対抗心を燃やしてさ。両足に1キロの鉄アレイを着けて都庁の1階から7階まで階段で上ると言い出した(笑い)。
――6時間40分で見事完走
猪瀬 ゴールで出迎えた石原さんは泣いてたよ。「猪瀬さん、死なないで良かった」と。石原さんとは都庁舎でテニスをしたこともあるんだから。
――テニス!?
猪瀬 7階に都知事の執務室があるんだけど、そのフロアには使っていない会議室がある。偶然、テニスラケットとボールを見つけた石原さんが「テニスやろうぜ」と。しかもその部屋がテニスコートの大きさにピッタリ。イスを両端に置いて、ビニールテープで結んでネット代わりにして。でも石原さんはフォームはキレイだけど、脚力が落ちていたからコーナーを攻めると追いつかない。その時は悔しそうな顔していたなあ。
――都庁でテニスをするとは前代未聞だ
猪瀬 価値紊乱者(かちびんらんしゃ)なんだよ。
――価値紊乱者?
猪瀬 素直で無鉄砲で、忖度しない。そして同調圧力を乱す者。もともとその言葉は三島さん由来でね。石原さんが「太陽の季節」でデビューして2人が初めて対談した時、三島さんが「石原君は道徳紊乱者だね」と言うわけ。後に石原さんは「価値紊乱者」と言い換えるんだけど、政治も経済も停滞している今の日本に必要なのは、まさにそんな人材だよね。
いのせ・なおき 1946年11月20日生まれ。長野県出身。信州大学を卒業後、政治学者・橋川文三氏に師事。87年「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授を歴任。2002年、小泉内閣で道路公団民営化委員を務める。07年、東京都副知事に任命され、12年に東京都知事就任。昨年7月、参院選に出馬して当選した。主な著書に「日本国の研究」「ペルソナ 三島由紀夫伝」「ピカレスク 太宰治伝」などがある。













