お笑い芸人のキャプテン渡辺(46)が、実に11年ぶりとなる単独ライブ「漫談スタイル」を10月4日、東京・杉並区の「座・高円寺2」で開催する。テレビ東京の「ウイニング競馬」にレギュラー出演し“競馬芸人”のイメージが強いが、実はかつてプロレス団体「UWFインターナショナル」の練習生だったこともある。単独ライブにかける思いを聞いた。
――11年ぶりに単独ライブをやるきっかけは
渡辺 ピン芸人の大会「R―1グランプリ」が芸歴10年未満という制限ができて、昨年から出られなくなった。それまで基本的にR―1に向けてネタを作ってたけど、出られなくなって「何のためにネタを作るんだ?」とモチベーションがすごく下がって。それで単独ライブでネタをやろう、と。
――ハリウッドザコシショウからのアドバイスもあったとか
渡辺 5~6年前からやらなきゃいけないと思ってました。もともと僕はシショウ率いるハリウッド軍団。シショウは単独をすごく大事にしてるので。でもずっと“やるやる詐欺”。「今年はやる」と言ってやらずを繰り返していたらシショウに「お前はサボりすぎてる。単独はやらなアカンで!」と言われて。
――反論は?
渡辺 する余地が一切なかったです。お前は競馬タレントなのか、と。もちろん競馬の番組で食えてるのは認めるけど、芸人としては何もやってない、と言われまして。
――ちなみにピン芸人になったのは?
渡辺 34歳です。それまでいろんなことをやってまして。話すと長いんですが、まず高校を出て、プロレスラーになろうとUインターに入門したんです。当時は高山善廣さんとか桜庭和志さんとかいました。1年2か月くらいいましたが、メチャクチャに厳しくて脱走しました。
――1年以上も続いたのはすごいのでは?
渡辺 それはですね、入門して2か月でスパーリング中に垣原賢人さんのアームロックで腕を折ったんですよ。練習はスパーリングが一番しんどいけど、骨折してやらなくてよくなった。それで何となく続けてた感じです。でも治ってスパーリングをやれるようになったら「もうムリ」と思って、脱走しました。
――それで芸人に
渡辺 僕は「ダウンタウン」さんに憧れていたので、「お笑いやるなら大阪」と思って大阪に行って、放送芸術学院というところに入りました。そこを卒業してから東京に行ったり、また大阪に戻ったり。いろいろあって30歳の時に「キラッキラーズ」というトリオを結成して、今の事務所であるソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に入ったんです。4年ほどトリオでやったんですが、メチャクチャ仲が悪くて解散。34歳でピンになりました。
――ただピン芸人になってすぐ、11、12年と2年連続でR―1決勝に進出。SMAではその後、「キングオブコント」で「バイきんぐ」、R―1でザコシショウ、アキラ100%、M―1で「錦鯉」と優勝者が続出した
渡辺 それは悔しかったですよ。お世話になったシショウの優勝ですら手放しでは喜べなかった。あの人がすごく苦労したのは知ってるからうれしい気持ちもあったけど、自分が売れてないわけだから。
――ただ「ウイニング競馬」にはずっとレギュラー出演
渡辺 もう11年目ですかね。もちろんすごくありがたいけど、競馬って特殊じゃないですか? 芸人さんが見る番組ではないし、やっぱり自分が憧れた、売れてる芸人に認められたい思いが強い。
――ただ今年は札幌記念で106万4700円の払い戻しを受けるなど大幅プラス
渡辺 もう覚醒してます! でも今年だけじゃないんですよ。実は19年から番組内の予想が年間トータルでプラスだったのに、それまでが負けすぎてて誰も気付かなかった。「最近好調だね」って言われるけど、最近じゃないですから!
☆きゃぷてん・わたなべ 1975年10月20日生まれ。静岡県出身。本名・渡辺峰人。高校卒業後の94年にプロレス団体「UWFインターナショナル」に入門したが、1年2か月で脱走。96年に放送芸術学院に入学。2005年にお笑いトリオ「キラッキラーズ」を結成したが4年で解散し、10年1月からピン芸人として活動。12年から「ウイニング競馬」(テレビ東京)にレギュラー出演。












