【前田日明(10)】 デビューから約3年半後の1982年2月から海外武者修行に出た。何のためかというと、新日本の前座で培った基礎をもって、いろいろな選手とやることで経験というか対応力を積むためだね。最初はカルガリーの予定だったけど(カール)ゴッチさん(※1)が「アメリカンプロレスはダメだ」と新日本に直談判して英国になった。
英国でのリングネームはクイック・キック・リー。俺の前に佐山(聡)さん(※2)が英国でサミー・リーの名前で「ブルース・リーの親戚だ」と言って「ジークンドー(※3)を広めるため」とやってて。俺も「サミー・リーの弟だ」ってね。チャイナ服みたいなのを作ってやっていた。とはいっても、そんなに経験を積めなかったんだよ。デール・マーティン・プロモーションにヘビー級のレスラーがあまりいない時期で軽い選手とばかり試合をしていた。
それで英国から帰国し、84年4月21日の蔵前国技館大会でポール・オーンドーフ(※4)と凱旋試合をした。試合前にオーンドーフが「前から投げたりとか、飛び蹴りとか受けられないし、危険だからやめてほしい」みたいなことを言ったんだよ。ゴッチさんがそれを耳にして怒っちゃってさ。「あんなヤツは3分くらいでやっつけてしまえ」とか言うわけ。かと思ったら新間(寿)さん(※5)が出てきて「テレビの試合だから15分前後は頑張ってやれよ」。2人に挟まれて困ったな、どうしたらいいんだって思ったんだよね。
その凱旋試合に勝ったとはいっても、実際は海外に1年くらいしか行ってない。それじゃ何も変わらないんだよ。だから会社に「ゴッチさんのところ(米国・フロリダ州)に3~4か月行かせてください」とね。その時は「木村健吾(※6)と一緒に行ってくれ」って言われたんだけど、それだと木村さんに合わせた練習になるなと思って。周りをパッと見たら高田(延彦)がいて。当時86キロくらいだったんだよ。その高田と当時115キロの俺が同じ練習で同じ動きができたらいいだろうなって思ったんだ。
英国に行ってる間に体重が15キロくらい増えていたから、どのくらい動けるのかなって思っていた。英国はラウンド制でスタミナもいらない試合だから、一からつくらないといけない。それで自分より29キロ軽い高田を米国に連れて行ったんだけど、結果的にそれでいい練習ができたから正解だったよね。
※1「神様」と呼ばれた元プロレスラー
※2プロレスラー、初代タイガーマスク
※3ブルース・リーが開発した武術、哲学
※4「鋼鉄男」と呼ばれた元プロレスラー、NFL出身
※5元新日本プロレス専務、元WWF会長
※6元プロレスラー、現品川区議
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












