【八重樫東氏 内気な激闘王(最終回)】  ボクシングの世界に入ったキッカケは岩手・黒沢尻工高時代に友人から誘われたからで、大橋ジムに入門したのは、拓大ボクシング部の中洞三雄コーチ(現監督)の電話。僕は人生の節目で必ず他人に決断を委ねてきたが、現役引退の時も同じだった。

 2019年12月23日(横浜アリーナ)、IBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に敗れた僕は翌日から練習を開始。ゆっくりと身の振り方を考えていると、新型コロナウイルスが世界を襲った。自分の進退も不透明なうえに、練習もできない異常事態。もはや自分では決められない。デビュー戦からずっとセコンドに就いて一緒に戦ってくれた大橋(秀行)会長に身を任せることにした。

 20年2月末に「続けようと思えば続けられますが、もし『試合を組まない』と言われたら辞めようと思います」と投げかけると、会長は「もういいんじゃないか。大橋ジムを内側から盛り上げてくれ」と言ってくれた。スッキリした気持ちで「分かりました」と言い、高校時代から約21年続けたボクサー人生に終止符を打つことを決めた。

 コロナによって延期されていた現役引退の記者会見は20年9月1日に行われた。拓大4年の時、大橋ジムで初めて練習した特別な日だ。会見の席で、とっさに会長の名言を口にした。「僕が誇れるのは世界チャンピオンになったことではなく、何度負けても立ち上がったことです」。事前に決めたわけでもなく、自然とマネしていた。ニヤリと笑っていた会長の顔が忘れられない。

 現在は大橋ジムのトレーナーとして後輩らを指導している。「セカンドキャリア」と言われるが、僕の中では「ネクストステージ」のほうがしっくりくる。まだ選手としてボクシングの道を歩んでいるような感覚だ。フィジカル面でサポートする(世界バンタム級3団体統一王者)井上尚弥には心から感謝している。現役時代に何度もスパーリングし、必死に食らいついて強くなれた。尚弥がいなければ、今の自分はないと思っている。

 最後に、なぜ幼少期からコンプレックスの塊だった自分が世界を取れたかを伝えたい。おそらく僕は一般的な成功者とは違う。自信がないから失敗しても「こんなもんさ」と開き直れ、精神的ダメージもあまり受けなかった。今「夢を大きく持て!」という教えを刷り込まれている子供らがあまりにも多い気がする。別に志が低くたっていい。一つずつ満足感を得て、徐々に自信をつける方法だってあるのだ。

 僕は小学生でプロ野球選手になる夢を諦め、中学でNBA選手になる夢を諦めた。だけどボクシングで世界チャンピオンになれた。内気な性格がくれた宝物だと思っている。 (終わり)

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。