【前田日明(12】ユニバーサル(レスリング連盟=UWF)旗揚げシリーズ最終戦の蔵前大会(1984年4月17日)後に(アントニオ)猪木さんから「前田(新日本プロレスに)帰ってこい」と付け人の高田(延彦)を通じて伝言が届いた。当時は「猪木さんに言われてユニバーサルに来ました」というのは秘密の話。俺に付いてきた社員もいたし、見捨てては戻れない。後にUWFを退陣した新間(寿)さん(※1)からも「一緒に新日本に帰ろう」と話があったけど、断った。
UWFは興行的に、どうしようもなかった。猪木さんが来ないってわかると、プロモーターも興行を買ってくれない。旗揚げシリーズで藤原(喜明)さんに来てもらっても新日本から借りているゲスト出演みたいな感じだったからね。
旗揚げシリーズが終わって浦田(昇・UWF社長)さんに「誰(選手)が欲しい?」と聞かれたから「一緒にやってた藤原さんと高田を引っ張ってください」とお願いし、84年6月に2人が合流。藤原さんにマッチメーカーになってもらい、リング上は徐々に充実してきた。
さらに浦田さんが佐山(聡)さんをUWFに「引っ張ろう」と言い出したんだけど、当時ショウジ・コンチャという怪しげなマネジャーがいた。引き離そうとしたんだけど、相手が一枚上手で浦田さんが恐喝で訴えられたんだよ。このあたりからUWFは資金繰りもおかしくなっていってしまったよね。
それでも(84年)7月23、24日に「UWF無限大記念日」(後楽園ホール)をやって佐山さん(当時ザ・タイガー、同年9月からスーパー・タイガー)も合流。藤原さんを中心に今までと違う試合ができるようになり、マスコミにも受け入れられ、東京ではブームが起きかかった。でも地方は散々。苦しい状況が続いたんだよね。
そうしていると、佐山さんとの関係もおかしくなった。当時、彼は三軒茶屋に大きな道場を開いていて、潤沢に収入があるわけだよ。選手としてのギャラもあるし、サイン会も1本100万円で週2~3回やってた。でも俺らは会社のちゃんこ制度もなくなって、藤原さんも身銭を切ってた。
会社は火の車。選手はギャラが出たけど、社員は給料の遅配もあった。それなのに佐山さんは格闘技プロレスだから試合も「月に1回じゃなきゃダメだ」。おカネ持ってるなら社員を食わせろよって。そういうのは全然で「言う通りにできないなら辞める」。どんどん態度が大きくなって意見が対立していったんだ。
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












