人気ロック雑誌「ロッキング・オン」創刊メンバーで、元ミュージシャン、音楽評論家の松村雄策氏が12日、死去した。70歳だった。13日、同誌の公式サイトが発表した。

 東京生まれの松村氏は1972年に同社代表取締役社長の渋谷陽一氏、岩谷宏氏、橘川幸夫氏らとともに「ロッキング・オン」を創刊。当初は隔月刊でリヤカーに雑誌を載せて書店を回るという原始的な方法ながら、それまでにはない本格的な「ロック・ジャーナリズム」を目指し、80年代には事実上、日本でトップの音楽誌となった。
 
 松村氏はもともとミュージシャンで、70年にロックバンド「自滅回路」のボーカルとして音楽活動を始め、75年には「ETER NOW(イターナウ)」名義で自主制作のカセットテープ「今がすべて」をリリースした。
 
 78年には「マッキ―・ショック!」をキャッチフレーズに渋谷氏プロデュースによるアルバム「夢のひと」でメジャーデビュー。「プライヴェイト・アイ」「アンフィニッシュド・リメンバーズ」など3枚のアルバムを残した。

 その後は編集者、音楽評論家として活躍する一方、ビートルズ評論の第一人者として、81年には初の著書「アビイ・ロードからの裏通り」を刊行。

 87年にはロックバンドが舞台ながら登場人物の名字が全員プロレスラーという、初の青春小説「苺畑の午前五時」を発表した。松村氏はプロレスファンとしても有名で、90年代には同誌に「パワーボムだよ、人生は」という名連載を残している。渋谷氏との「渋松対談」は看板連載で、同対談の書籍だけでも計6冊が刊行されたほどだった。

 他にも「リザードキングの墓」「ビートルズは眠らない」「僕を作った66枚のレコード」など多くの著書を発表した。連載「レコード棚いっぱいの名盤から」は11年続く長寿連載となった。

 また91年には、ビートルズ来日時の時代考証をめぐって作家・小林信彦氏との間で「消えろ『ミート・ザ・ビートルズ』論争」を展開。後年は脳梗塞を患い、闘病生活を続けていた時期もあった。

 渋谷氏は同社の公式サイトで「創刊メンバーで50年書き続けたのは松村と僕だけだった。松村の部屋はビートルズのポスターがたくさん貼ってあった。『まるで学生の部屋みたいでしょう』と家族が言っていたが、本当に学生の部屋みたいだった。部屋だけみたら、そこに70歳の老人が住んでいるとは誰も想像できないだろう。松村の精神世界そのままの部屋だった。ロッキング・オンの50年は、僕たちの長い青春の50年でもある。松村は青春のまま人生を全うした。ロッキング・オンを50年続けられたのは松村がいたからだ。本当にありがとう。安らかに眠ってくれ」と〝戦友〟を悼んだ。