【本紙に激白・前編】「平成」の幕が下り、「令和」がスタートした。64年続いた「昭和」に対して「平成」は、その半分にも満たない31年だった。激動と繁栄の時代であった「昭和」に対して、「平成」はバブル崩壊に始まり阪神・淡路大震災、東日本大震災、さらには熊本地震などの自然災害にも見舞われた。国際競争力が低下するなど“失われた30年”でもあった。では、平成の芸能界はどうだったのか? 昭和から平成まで芸能界を60年以上にわたって第一線で見続けてきた俳優・梅宮辰夫(81)が、本紙独占直撃に2回にわたって激白! 「昭和から平成になった途端に芸能界はつまらなくなった。憧れなんてものもなくなった」と一刀両断に斬り捨てた――。

「僕は昭和の半ばから芸能界を見続けてきたんだけど、平成になった途端に芸能界というのが遠のいてしまった感じがするんだよ。つまり、芸能界というのは本来、特別な世界なわけよ。だから大衆から憧れを抱かれていたわけさ。石原裕次郎や高倉健、菅原文太、それに松方弘樹…。どいつもこいつもみんなすてきな、魅力的なやつらばかりだったよ。何といってもカッコよかった。だから大衆はそういったスターのいる芸能界に憧れていたわけさ。どんな世界なのか見てみたいと思ったわけ。それが、平成になったら一般の世界、普通の世界と何も変わらなくなってしまった。要するに芸能界が、特別な憧れの世界でも何でもなくなってしまったわけだよ。魅力も何もなくなっちまった。俺のような昭和のスターからすると、この平成の芸能界というのは、どんどん意識というか距離が離れてしまった、そんな時代だったな」

 梅宮は1958年(昭和33年)に東映ニューフェイスとしてデビュー。以来、映画やテレビドラマなど数百本に出演してきた。中でも代表作「夜の青春シリーズ」や「不良番長シリーズ」「帝王シリーズ」「仁義なき戦いシリーズ」で知られ、60年から70年代にかけて東映の黄金期を担ってきた。

 しかし、2014年(平成26年)に高倉健さんや菅原文太さんらが逝き、17年(同29年)には“昭和の2大スター”と言われ続けてきた“相棒”の松方弘樹さん、さらには渡瀬恒彦さんらも帰らぬ人となった。特に松方さんとは映画「仁義なき戦い」(1973年=昭和48年)などで共演。釣り仲間でもあり「遊び」も共にしてきた盟友だっただけにショックも大きかった。

「(松方)弘樹も含め、仲間が一人ずつ自分から去っていくのはこれは仕方がないことだよ。だけど精神的にはつらい。ただ僕も今や昭和の生き残りだからな。アイツらの分も含め、頑張っていくしかない。ま、この年になっても、やることがあるのは幸せなことだよ。もちろん、これも僕にとっては一つの節目だと思っているけどね」

 そう苦笑いする梅宮が、これまで公表を控えてきたのが自らの闘病生活だった。この半年余りの間に2度のがんを経験したことを明らかにした。
 昨年9月に「前立腺がん」、今年1月には「尿管がん」。この2つを含め、「これまでの人生で6度のがん(他に『睾丸がん』『肺がん』『胃がん』『十二指腸乳頭部がん』)を経験してきた」と振り返った。

 幾多の試練を乗り越えてきた梅宮は「このままいったら芸能界は消滅しちゃうよ」と警告した。そのワケとは…。(※続く)