【この人の哲学】テツandトモ 「なんでだろう」トイレで思いつきました!!

2020年07月10日 10時00分

 結成22年。M―1グランプリ決勝に進出するなどブレークから18年。昨今は“営業最強芸人”としても知られるテツandトモ。ブレークした経緯とは? そして「一発屋」扱いされ漏らした言葉とは?


 ――「なんでだろう」のあのメロディーはどうやって生まれたんですか


 トモ トイレで思いつきました。


 ――大?


 トモ そうです。♪テツの顔がけっこう長いのなんでだろう~って。


 ――テツさんの胸の前で手をクネクネ交差する動きは


 テツ これが不思議で、歌ってたら勝手に手が動いたんです。本当に! ネタに出てくる昆布のマネでもなんでもなく、メロディー聴いたら自然と。


 トモ 最初はちょっと動きが違ったよね。


 テツ 交差の仕方が違ったのと、テレビを見たうちの母親から「手の動かし方が汚い」と注意されたんですよ。母は日本舞踊の家元でして、「親指を曲げて4本の指をくっつけ、しなやかに動かしなさい」と言われ、今の動きが完成しました。


 ――まさか日本舞踊の要素が入っていたとは。ブレークした経緯はどんなでしたか


 トモ きっかけはNHKさんの「爆笑オンエアバトル」です。番組が始まった1999年から出させていただいて、あのころは朝から晩までネタ作りをやっていました。そのオンバトを見て番組に呼んでくださったのが「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ)さん。2002年2月放送の「笑わず嫌い王決定戦」出演後、徐々に忙しくなりました。


 ――02年の年末には第2回「M―1グランプリ」決勝に出場してます


 トモ M―1で、審査員の立川談志師匠からお言葉をいただいて…。その件は改めてお話しします。年が明けた03年1月からは、アニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のエンディングテーマに、♪なんでだろう~を起用してくださいました。後で聞いた話ですが「めちゃイケ」を見たこち亀のスタッフさんからの依頼でした。オンバトから全てがつながってたんです。


 ――アニメ主題歌の効果は大きかったのでは


 トモ こち亀の主人公「両さん」が、なんでだろう~の曲に合わせてテツの手の動きをしてくれたんです。子供たちがその動きや歌をマネし、それを見たご年配の方々にも知ってもらえるようになりました。その後、営業のお仕事が増えたんです。その年の年末には「第54回NHK紅白歌合戦」にも出演。とてつもない一年でした。


 ――どれぐらい忙しかったんですか


 トモ 地方での仕事が終わった後、東京に戻って夜中に番組の打ち合わせをしたり。休みはなく、睡眠時間が2時間という日もざらでした。よく倒れなかったと思います。


 テツ あの時はすごかった。


 トモ 記憶が飛んじゃうぐらいだよね。


 テツ うん、覚えてない。事務所の社長が電話を2本同時に両耳で受けていたのを見て、これはすごいことになってるんだなと思いました。コントとか映画でしか見たことないやつです(笑い)。


 トモ ファクスも山積みで。あの時は大変だったけど、今思うと本当にありがたかったです。コンビを組んだ時は、このような経験ができるなんて夢のまた夢でしたから。


 テツ 僕はあのネタを「なんでだろうさん」と呼んでるんです。テツandトモではなく、「なんでだろうさん」が人気で呼ばれていると。「なんでだろうさん」のおかげでここまで来れました。


 トモ わたしたちは結成した時から、毎年10個の目標を立てて、達成したら消すというのをやってたんです。「紅白歌合戦」出場は一番大きな最終目標。それがいきなりかなって、一回、燃え尽きて真っ白になりました(笑い)。


 ――「あしたのジョー」の最後のコマですね


 トモ 04年は引き続きテレビのお仕事をいただいたんですが、05年にテレビ出演が減ると、雑誌に「消えた一発屋」と書かれるようになり…。記事のグラフの矢印が、斜め下ではなく、真っすぐ下↓に向いてたんです。思わず「せめて斜めにしてよ!」と雑誌にツッコミましたよ(笑い)。

 

 

 テツアンドトモ…中本哲也(テツ)、1970年5月9日生まれ、滋賀県出身。石澤智幸(トモ)、70年5月10日生まれ、山形県出身。98年2月にコンビ結成。2001年国立演芸場花形演芸大賞銀賞受賞。翌年、金賞獲得。「なんでだろう~」は03年新語・流行語大賞「年間大賞」受賞。親子のユーモアコミュニケーション絵本「なんでだろう」(1000円+税、世界文化社)とCDアルバム「テツandトモの元気になれるのなんでだろう?」(1818円+税)が発売中。