【この人の哲学】テツandトモの大人気ネタはこうして生まれた

2020年06月29日 13時00分

テツandトモ

【この人の哲学:テツandトモ(6)】結成22年。M―1グランプリ決勝に進出するなどブレークから18年。昨今は“営業最強芸人”としても知られるテツandトモ。歌手のつもりが芸人として事務所に誘われた2人。漫才、コントに挑戦していた過去、そしてあの大人気ネタが生まれた経緯を語る。

 ――現在の所属事務所から芸人をやらないかと声をかけられ、断ったと

 トモ:断ったら後日、電話がかかってきたんです。「そう言わずに、ちょっと会わないか」と。それでうかがいました。「お笑いで売れたら、歌も出せるし、芝居もできるよ。きっかけになるかもしれない。やってみない?」と説得されたんです。

 ――どうしても所属してほしかったんですね

 トモ:芸人をやりそうな男性2人組を真剣に探していたんだと思います。でもまたお断りしました。「お笑いはやりません。他を探してください」って。その後も2か月間、定期的に何度も声をかけてくれたんですよ。そのたびに丁重にお断りをさせていただきました。

 ――2か月? ということは2か月後に決断を

 トモ:テツと話をする中で「断っても、何度も誘ってくれる。それならちょっとやってみようか。やってダメならすぐ辞めよう」という話になったんです。

 ――ついに芸人の道へ! テツさんは芸人が選択肢にありませんでした

 テツ:実はそのタイミングで親から「そろそろ潮時じゃないか」とプレッシャーをかけられていたんです。自分にはお笑いという発想は全くなかったけど、思い切ってチャレンジしてみよう、やるだけやってみようと考えるようになりました。ある意味、ヤケクソです(笑い)。これが最後。ダメだったら実家に帰って家の仕事を継ごうと決心しました。

 ――背水の陣ですね。トモさんは

 トモ:テツと話し合いを重ね、お笑いにまた挑戦してもいいかな、とちょっと考えるようになったんです。それに一回断って「さよなら」ではなく、2か月間ずっと「ちょっとだけやってみない?」と誘い続けてくださったことで、徐々に気持ちが変わっていきました。それで最初は漫才をやったんです。でも、やり方がよくわからない(笑い)。漫才、やったことなかったですから。

 ――ギターを持たずに漫才していた時期があったとは

 テツ:浅井企画さんのライブのオーディションを受けに行ったら、あっさり落ちました。

 トモ:すぐに漫才はやめました。俺たちにはムリだ!って。じゃあコントに挑戦しようって、自分で台本を書いてまた浅井企画さんに受けに行ったら「これは芝居だよ」と。面白いと思って作ったけど、面白い要素がなかったんですね(笑い)。コントもすぐやめました。2か月で漫才とコントを1本ずつやったところで、テツが「やっぱり歌いたい。歌を取り入れたネタをやりたい」と言い出したんです。

 テツ:かしまし娘さんとか、楽器を使うネタが好きだったんですよ。見てて楽しいし、自分も歌えるから、音楽ネタをやろうと。

 ――「なんでだろう」につながる気配が!

 トモ:最初は「なんでだろう」ではなく、時事ネタをやってました。

 テツ:ワイドショーや週刊誌で盛り上がっていたネタを音楽に乗せて歌ってたんです。

 トモ:わたしが曲を作ってギターを弾いて。でもそれも反応が良くなく、すぐやめました。次に作ったのが、わたしが質問したらテツが答えるネタ。♪仮面ライダーいつ免許を取ったんだろう。

 テツ:♪無免だろう。

 トモ:♪テツの顔がこんなに長いのなんでだろう。

 テツ:♪遺伝だろう。

 ――メロディーは「なんでだろう」ですね

 トモ:作ってみて、テツは答えを言わない方がいいねと、「♪なんでだろう」を繰り返し歌う形にしたんです。コンビで芸をやりだして3か月後ぐらいにできました。

 ――あのネタ、そんなに早く形になったんですか

 トモ:内容を「小学校あるある」にして、「なんでだろう」をまた浅井企画さんのオーディションに持って行ったら…。 (次週に続く)

☆テツアンドトモ 中本哲也(テツ)、1970年5月9日生まれ、滋賀県出身。石澤智幸(トモ)、70年5月10日生まれ、山形県出身。98年2月にコンビ結成。2001年国立演芸場花形演芸大賞銀賞受賞。翌年、金賞獲得。「なんでだろう~」は03年新語・流行語大賞「年間大賞」受賞。親子のユーモアコミュニケーション絵本「なんでだろう」(1000円+税、世界文化社)とCDアルバム「テツandトモの元気になれるのなんでだろう?」(1818円+税)が発売中。