【この人の哲学】テツandトモ「何をやったら視界が開けるのかがわからず、お先真っ暗」

2020年06月14日 10時00分

苦しい時代を振り返るテツ(左)とトモ

【この人の哲学:テツandトモ(4)】結成22年。M―1グランプリ決勝に進出するなどブレークから18年。昨今は“営業最強芸人”としても知られるテツandトモ。大学卒業からしばらくして、ついにコンビを組んで歌のオーディションを受けることに。しかし…。

 ――トモさんは「NHKのど自慢」でチャンピオンになり、「歌でスカウトされるかも」と期待していたと

 トモ:スカウトを待っていたのに、何も起こらない! そのまま時間ばかり過ぎて…。もう、お笑いでも歌でもなんでもいい、名を売るきっかけが欲しい。そうだ、テツがいる、テツと一緒に歌のオーディションを受けよう!と声をかけたんです(笑い)。

 テツ:なんでもよくなって、相手がオレです(笑い)。

 ――学生時代はさほど仲良くなかったという話でしたが、その時点での付き合いは

 トモ:2人ともチケットのノルマがあって、お互いに買うから、芝居は見に行ってたんです。

 テツ:お互いに友達として見に行ってました。

 ――販売ノルマもあって、卒業後も付き合いは続いていたんですね。声をかけられたテツさんは

 テツ:実はそのころ、僕の方でもいろいろと考えていたんです。トモはテレビに出られてうらやましいなぁ。自分は将来どうしようか。このまま演劇を続けてもどうなるだろう。きっかけが欲しい。可能性を広げるために挑戦しなければと、トモと同じようなことを考えていたんですよ。それで声をかけられて、いろんな歌のオーディションを受けに行きました。

 ――テツさんはもともと歌手志望でしたが、声をかけられた時は

 テツ:歌は考えてなかったです。2人であちこち受けた時もお芝居をやりながらでした。僕の中でも最初は本気ではなかったんです。

 ――オーディションを受けて結果は

 トモ:いろいろ行って、林家ペタ子さん司会のテレビ埼玉「いけいけヤンカラ塾」では、「あずさ2号」を歌って優秀賞みたいなのをもらいました。でもね、いくつオーディションを受けてもそこから何かがあるわけではなく、優勝してもトロフィーをもらって終わり。そもそも私はのど自慢でチャンピオンになっても何も発展がなかった。かといって芝居も先は見えない。テツに声をかけて一緒にやりだしたけれど、何をやったら視界が開けるのかがわからず、お先真っ暗な状態になってました。

 ――どん底ですね。経済的に苦しい上に先も見えなかった

 トモ:劇団やってる時は、自分がごはんを食べられなくても、芝居ができているし、ギリギリでも生活できているから、それが幸せだと思っていました。いや、自分でそう思わせていたのかもしれません。怖いから。アルバイトしながら芝居をやって、確かにその時は幸せだとは思っていたんですよ。でも「今」しか見てなかった。先々、30代、40代のことなんか考えず、今が楽しければそれでいい、それがオレの人生だ!と。

 ――いま考えると、その生き方は正しかったですか

 トモ:それがかっこいいと思っていました。でも、もう少し先のことを考えて生きても良かったと思います。よく今ごはんを食べられるようになったなぁと思いますもん。首の皮一枚でつながって生きていられたようなものです。あの生活が続いていたらどうなっていたか。

 ――テツさんと組んでも不発続き…

 トモ:そんな時にですよ。テレビ業界の仕事をしている大学の同級生に「結婚披露宴で2人に歌ってほしい」と声をかけられたんです。披露宴には業界の方々も来るから、これはチャンスかもしれない。でも、ご祝儀として包むお金がない…。「申し訳ないけど、やめよっか」とテツと話し合ったんです。

 テツ:でも、もしかしたら、って。(続く)

★プロフィル=テツアンドトモ 中本哲也(テツ)、1970年5月9日生まれ、滋賀県出身。石澤智幸(トモ)、70年5月10日生まれ、山形県出身。98年2月にコンビ結成。2001年国立演芸場花形演芸大賞銀賞受賞。翌年、金賞獲得。「なんでだろう~」は03年新語・流行語大賞「年間大賞」受賞。親子のユーモアコミュニケーション絵本「なんでだろう」(1000円+税、世界文化社)とCDアルバム「テツandトモの元気になれるのなんでだろう?」(1818円+税)が発売中。