日本は夏休みも終わり、初秋の季節を迎えている。だが欧米ではこの時期は入学式の季節にあたり、多くの若者たちが新しい人生に胸を躍らせる時期でもある。そこで今回の「映画タイムマシン」は「米国の青春映画ベスト5」をお送りします。

【アメリカン・グラフィティ(1973年)】 

13歳キャロルの満たされない心が少しずつ変化していく脚本が秀逸

アメリカン・グラフィティ
アメリカン・グラフィティ

 1962年、カリフォルニアの田舎町。明日に迫った東部の大学への旅立ちに不安を募らせるカート(リチャード・ドレイファス)はTバードに乗る謎の金髪美女からの「アイ・ラブ・ユー」に心を奪われる。彼女を探すために伝説のDJに会いに行くが不在。局職員に思いを託し帰りがけに振り返ると彼がマイクに向かっている。その声こそウルフマン・ジャックそのものだった…。

 73年のジョージ・ルーカス監督の本作は、単なる「落書き」などではなく、米国のどこの町でもあったはずの悩める若者たちが記した足跡の記念碑的作品だ。

 冒頭、たまり場のドライブインでテリー(チャールズ・マーティン・スミス)がベスパを止め損なってゴミ箱に激突するところから早くもスクリーンに引き込まれる。クルマと異性と音楽。デュースクーペ、ベルエア、インパラで町を流し、ラジオからはロックンロールが絶えることなく流れ続ける。ベトナム戦争はまだ本格的に激化しておらず、ヒッピー文化もクスリもなく、描かれるのは米国にまだ健康的な無邪気さが残っていた時代だ。

 巣立っていく後輩たちに強気を装うジョン(ポール・ル・マット)と、親にも姉、友人からも疎まれている口だけが達者な13歳のキャロル(マッケンジー・フィリップス)が車中で言い合いをするうちに満たされない心が少しずつ変化していく脚本が光る。ハリソン・フォード、ロン・ハワードらの若き日の姿も見られ、カートがパトカーの後輪を吹っ飛ばすシーンでは、背後にかすかにプロデューサーであるコッポラの監督デビュー作「デメンシャ13」の看板が…という遊びまである。

 ラストシーン。東部に向かう機内から見下ろすカートの目に田舎道を走るあの白いTバードが映る。彼女の「アイ・ラブ・ユー」に心乱される新入生が今日は何人いるのだろうか。

【ビッグ・ウェンズデー(1978年)】

同じ思いを共有した波乗り3人の大挑戦

ビッグ・ウェンズデー
ビッグ・ウェンズデー

 同じ1962年のカリフォルニアが舞台でも「アメリカン・グラフィティ」が車と音楽だったのに対し、酒とイタズラが中心だったのが、78年のジョン・ミリアス監督の本作だ。ホームパーティーの際、ジャック(ウィリアム・カット)の母親が読んでいた小説は「キャッチ22」で、これは「やることすべて裏目でどうにもなりません」という意味合いのスラングでもあり、ワクサーが徴兵逃れのためゲイのふりをしたところ、それならうってつけと海兵隊に入れられたことの皮肉にもなっている。

 波乗りに明け暮れた彼らにも時代の波は容赦しない。70年代に入ると友は戦死し、かつて入り浸ったカフェは見る影もないほど変わり果てる。マット(ジャン=マイケル・ビンセント)はもはや子供たちの憧れではなく、ジャックの恋人も彼の帰還を待たずに見知らぬ男の妻となっていた。

 パーティーを繰り返したジャックの実家は売りに出され、マットはジャック、リロイ(ゲイリー・ビジー)に連絡がつかないまま20年に一度の大波の日が近づく。そして74年。いつものビーチへの石段を下りるマットを待っていたのは…。

 竹内まりやの「いのちの歌」に次のような一節がある。

「いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく」

 消息はわからずとも同じ思いを共有し続けて大波に挑んだマット、ジャック、リロイの3人。若いサーファーが打ち上げられたボードを拾って差し出してくる。「あなたがマット・ジョンソンなんですね? あんなにすごいライドは初めて見ました」。マットは言う。「あげるよ。今度は君が乗ってみろ」

 継がれたのだ。

【スタンド・バイ・ミー(1986年)】

田舎町4人の少年が森の中の死体を探す旅に…

スタンド・バイ・ミー
スタンド・バイ・ミー

 東京スポーツ新聞社がある江東区越中島2丁目の人口は1835人(*)。それよりもさらに少ない1281人の小さな田舎町が世界の全てだった4人の少年たちは、森の中に死体が放置されているという噂を聞き、それを探す旅に出る。1959年オレゴン州キャッスルロック。ロブ・ライナー監督「スタンド・バイ・ミー」は12歳の夏、少年たちの2日間の冒険物語だ。

 渓谷を縫っていく単線路はこれから歩む人生の暗示。汽車にひかれかけ、神の使い(鹿)に出会い、沼の洗礼を受け、ヒルに血を吸われ、コヨーテにおびえる。友の首に突きつけられたナイフには「他のやつらなんてどうでもいい。お前だけを仕留める」と銃を向けて不良たちを退散させる。これまでとは違う生と死への距離の近さを体験し、少年たちの心に変化が生じていく。

 本作は様々な解釈ができる。作家はゴーディー(ウィル・ウィートン)の成長した現在であるとか、あるいは単なる同級生であるとかだ。多くの人は前者と捉えるだろうが、後者も否定できない。

 冒頭、作家の車中にはクリス(リバー・フェニックス)の死を伝える85年9月4日付の地元オレゴニアン紙が置かれていた。その脇を自転車で通り抜ける2人の少年。そこで彼は特に交流のなかった同級生の死からインスパイアされた物語を創造したのかもしれない。20代中盤まで会っていたのなら普通ならば死は電話で知らされる可能性が高いはずだからだ。

 父にはまったく認めてもらえず、最大の理解者だった兄は突然の事故死。そんなゴーディーにクリスは言う。「お前は作家の才能がある。でも誰かが支えてあげなければ才能も消えちまう。お前の親が守ってくれないなら俺がやってやる」

 ラスト。ワープロのスイッチを切り子供たちと戯れながらクルマを走らせる姿。ベン・E・キングの歌が聞こえる。

「スタンド・バイ・ミー。そばにいておくれ。闇につつまれ月明かりしか見えなくたって怖くなんかないさ、君がそばにいてくれるなら」

 後者であろうとなかろうと、もはや構わないだろう。
*2026年9月現在
  
 【フェリスはある朝突然に(1986年)】

高校生が学校をサボって遊び倒す1日を描く

フェリスはある朝突然に
フェリスはある朝突然に

「ブレックファースト・クラブ」など多くの80年代米国青春映画で監督・脚本・製作を手掛けたジョン・ヒューズ。2009年に59歳の若さでこの世を去った彼の86年の監督・脚本作品。「人生は短い。楽しまなきゃウソだ」をモットーにする高校生が、学校をサボって遊び倒す一日を描く。

 卒業間近の高校生フェリスは、ある晴れた日に仮病を使い両親をダマして学校をサボることに。恋人のスローアン、人生に悲観的な親友キャメロンを誘い出し、キャメロンの父親が大切にする旧車のフェラーリでシカゴのダウンタウンへと繰り出す。そんなフェリスを快く思わない校長は、ズル休みを暴いて留年に追い込もうとフェリスの自宅に向かうのだが…。

 マネキンや録音音声を使った仮病の偽装工作が痛快だ。咳や腹下し音をシンセサイザーで流し、学校のパソコンに侵入して欠席日数を改ざんするなど当時の最新技術の先取性にも脱帽だ。イタズラ心溢れる仕掛けのアイデアは、ヒューズ脚本による1990年の大ヒット作「ホーム・アローン」に引き継がれている。
 晴れた日は学校なんて行かず、人生を楽しもうぜ。オン・ア・サニーデイ。

【すべてをあなたに(1996年)】

スター街道を駆け抜けた4人組バンドの軌跡と恋

すべてをあなたに
すべてをあなたに

 名優トム・ハンクスの初監督作品。ビートルズ旋風が吹き荒れた1964年の米国を舞台に、瞬く間にスター街道を駆け抜けた4人組バンドの軌跡と恋を描く青春ストーリーだ。トム自らが脚本と数曲の劇中歌の作詞作曲まで手掛け、大手レコード会社のプロデューサー役で出演もしている。

 家業の家電店で働くドラマーのガイは、腕を骨折したメンバーの代役を頼まれ、友人のバンドに参加する。そして地元の音楽コンテストの優勝をキッカケにライブレストランの出演、自主制作レコードのヒット、ラジオのオンエアと快進撃を続け、ついにメジャーデビューを勝ち取るが…。

 コンテスト本番にバラードをアップテンポに変えて曲が生まれ変わるシーンは、ビートルズ「プリーズ・プリーズ・ミー」の制作エピソードがモチーフだろう。物語の核となるそのヒット曲「ザット・シング・ユー・ドゥ!」はポップで爽やかなロックナンバー。劇中で大ヒットを記録するのも納得の完成度だ。実際のビルボードチャートでも最高位41位を記録。アカデミー賞主題歌賞にもノミネートされている。