【今週の秘蔵フォト】1980年代には全日本女子プロレスで長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュギャルズが日本全国を熱狂の渦に巻き込み、中学生から高校生、果ては大人の女子まで大人気を集めた。クラッシュより10年近く前に女子プロブームを巻き起こしたのがマッハ文朱だった。
もともとは歌手志望で13歳の時に「スター誕生!」で決戦大会まで進むも山口百恵に敗れて女子プロレスの道を選んだのは有名な話。15歳でプロレスデビューすると「花を咲かそう」が40万枚の大ヒット曲となり、75年3月には全女の至宝・WWWA世界シングル王座を史上最年少の16歳0か月で奪取した。この記録は今でも破られておらず、女子のメジャー王座記録として永遠に歴史に残るだろう。しかしマッハはわずか3年弱でプロレスから引退、タレントへと転じた。78年3月11日付本紙では引退から2年たったマッハのインタビューが掲載されている。
当時はレギュラー番組が7本という売れっ子で新曲「燃える青春」を発売したばかりだったが、マッハはインタビューで異種格闘技戦での復帰を宣言。「プロレスでも空手でもボクシングでも何でも来い!! マットに沈めてやる!!」と気勢を上げている。試合は4月18日後楽園で米国人女子ボクサーとの対戦が予定されていた。
「リングを去って以来、ファンから〝もう一度リングに立ってくれ〟との要望が数多く来て、もう断り切れない、立たざるを得ないと思ったんです。それに引退試合もできなくて、ファンに申し訳ないし、それが一番悔しくて…」とマッハは復活の理由を明かした。結局半年間で全5戦の異種格闘技戦を行った後はタレント業に復帰。〝早咲き〟の典型であった。












