名俳優・仲代達矢さんが他界したことが11日分かった。享年92。1975年、妻(故人)と自宅稽古場で俳優養成所「無名塾」を始め、役所広司、若村麻由美、真木よう子、滝藤賢一らを輩出した。仲代さんの功績は後進の育成だけでない。

「過去にお会いした時の印象としては、大御所すぎてとにかくいい人だったことくらい。仲代さんの最後の大仕事は、能登演劇堂。昨年元日の大地震で被災した能登半島の復興に、大いに貢献してます」とは映画関係者。

 ここで登場する能登演劇堂は、石川県七尾市中島町にある日本で唯一、自然と舞台が一体となった演劇専用ホールだ。名誉館長を務めているのが仲代さん。

 演劇堂のウエブサイトによると、仲代さんは83年、妻と義理の母を連れた能登旅行で、知り合いを訪ね中島町に立ち寄った。その景色や町並みを前に、仲代さんが「能登本来の美しさを発見することが文化なんだね。こんなところで、無名塾の合宿ができたら」とつぶやいたのがキッカケで、85年から無名塾の能登中島合宿がスタート。

 10年間続いた合宿を通した無名塾と地元民の交流により、「町民の演劇への想い、演劇によるまちづくりの構想が高まり、感動した仲代達矢氏が監修を引き受ける形でホールの建設が実現しました」とのこと。95年に誕生した。

 ウエブサイトには、仲代さんが妻と連名で93年に筆で書いたこんなメッセージが掲載されている。

「この劇場の中で、どれだけ濃い劇世界がくりひろげられ どれだけ多くの人たちに濃く影響し、かかわりを持てるかは これからのみんなの問題です。本当の香り高き文化の芽を、この土地に力強くはぐくんで行ってほしいと願っています。それを長く継続して行くことは大変な事だと思います。この劇場が末永く人々の情熱に支えられ、人々に感動を与え続ける小宇宙になりますように 心から祈っています」

 公演情報によると、仲代さんは今年6月、能登半島地震復興公演「肝っ玉おっ母と子供たち」に出演。戦争の愚かさを描き、同時に命への讃歌でもある同作で、計20公演の舞台に立った。