世界的な音楽家として知られる坂本龍一さんが先月28日に死去していたことが2日、分かった。71歳だった。音楽ユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で一世を風靡し、映画では「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」など数々の名曲を世に届けた。近年はがんとの闘病生活を強いられながらも脱原発や環境保護など社会的な問題にも積極的に発言。その知的なイメージから“教授”とも呼ばれたが、実はお笑いでも実力を発揮していた――。

93年のYMO再結成会見で(左から細野晴臣、坂本さん、高橋幸宏さん)
93年のYMO再結成会見で(左から細野晴臣、坂本さん、高橋幸宏さん)

 この日、所属事務所は「わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしました。謹んでご報告申し上げます」と発表。続けて「2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」と伝えた。葬儀は近親者のみで済ませたという。

 坂本さんは東京芸術大大学院修了後、1978年に細野晴臣、高橋幸宏さん(1月に70歳で死去)とYMOを結成。キーボードを担当し、シンセサイザーを駆使したテクノ・ポップ・サウンドで一世を風靡した。

映画「戦場のメリークリスマス」ロードショー公開会見で(左から坂本さん、大島渚監督、ビートたけし=92年)
映画「戦場のメリークリスマス」ロードショー公開会見で(左から坂本さん、大島渚監督、ビートたけし=92年)

 大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」(83年)に日本人将校役で映画初出演し、初めて映画音楽を担当した。

「もともと坂本さんは大島作品が大好きで、本人から『会いたい』と連絡があったときには大喜び。ところが、実際に出演をオファーされた時『映画音楽もやらせてくれたら出ます』と答えたとか。後に『オレ、素直じゃないんだよ』と笑っていましたが、結果的にそれが世界的な名曲になりました」(映画関係者)

 さらに映画「ラストエンペラー」(88年)で同年の米アカデミー作曲賞、翌89年にグラミー賞を受賞。“世界のサカモト”の名を不動のものにし、坂本作品はマイケル・ジャクソンさんら海外のミュージシャンにもカバーされた。

 坂本さんといえば、積極的な社会的発言も見逃せない。2011年の東日本大震災による東京電力福島第1原発事故後の12年には、脱原発を訴えるデモに参加。「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」と訴えた。

 また、東京・明治神宮外苑の再開発問題では多くの樹木が伐採されることを危惧し、小池百合子都知事らに「目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません」と手紙を送った。

 その知的なイメージから「教授」の愛称で親しまれたが、お笑いとの“接点”もある。

「い・け・な・いルージュマジック」シングルレコードジャケット
「い・け・な・いルージュマジック」シングルレコードジャケット

 82年、故忌野清志郎さんとのデュオを組んだ楽曲「い・け・な・いルージュマジック」のミュージック・ビデオでは、2人がけばけばしいメークでキスをして話題になったが「その影響で、当時まだ若手芸人だった島田紳助と明石家さんまが『い・け・な・いお化粧マジック』というパロディーソングをリリースした」(お笑い関係者)

 また、ダウンタウンの番組に出演した際、松本人志扮するアホアホマンが、幼なじみながら「お兄ちゃん」と呼んでいる「アホアホブラザー」としてコントを演じ、世間を仰天させた。

「坂本さんはブリーフ姿で演じましたが、お尻の部分に黄色い汚れをつけることを提案。その汚れをどれくらいの大きさにすれば、リアリティーが出るかまで考えながら自分でつけたんです。音楽には貪欲で努力を欠かさなかったが、それはお笑いでも同じだった」(同)
 松本の相方・浜田雅功にどつかれまくる名場面はこうして生まれたのだった。

 そんな好奇心旺盛な音楽家でも病魔には勝てなかった。14年7月に中咽頭がんと診断されたことを公表、21年1月には直腸がんの治療を公表した。さらに肺への転移が確認され同年10月と12月に腫瘍を摘出。昨年12月の配信コンサートでは「ライブでコンサートをやりきる体力がない。この形式で演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」とコメントしていた。

 所属事務所によると、坂本さんは次の一節を好んだという。

「Ars longa, vita brevis.芸術は長く、人生は短し」――。