映画監督の崔洋一さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため都内の自宅で死去した。73歳だった。葬儀、告別式は家族や近親者で執り行う。在日コリアンをリアルに描いた「月はどっちに出ている」、「血と骨」などで数々の映画賞を受賞。2004年から今年の6月まで日本映画監督協会の理事長を務めるなど、日本映画界に多大な影響を与えた崔さんの秘話を公開する。

 崔さんは長野県出身で在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれた。大島渚監督の「愛のコリーダ」、村川透監督の「最も危険な遊戯」の助監督を務め、1983年に「十階のモスキート」で映画監督デビュー。93年の「月はどっちに出ている」でブルーリボン賞をはじめ数々の映画賞を受賞。2004年にはビートたけし主演の映画「血と骨」で日本アカデミー賞の最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞したほか、東京スポーツ映画大賞でも94年と05年の2度監督賞を受賞している。

 監督として輝かしいキャリアを積み上げていく一方で撮影現場ではおちゃめな一面ものぞかせていたようだ。たけしは、12年7月の本紙で「血と骨」の撮影時のエピソードを明かしている。

 鈴木京香とのベッドシーンで「どうやっていいか分かんない」と言うたけしに対して崔監督は驚きの行動を取った。スキンヘッドの殺陣師の二家本辰己を呼ぶと、崔さんが「オレがたけちゃん、二家本が京香ちゃん、よーいドン」と言ってオッサン2人が絡みだしてお手本を見せたという。これにはたけしも「地獄絵図だったな。二家本さんもあの顔で『その先はやめて~』とか言っておかしくてしょうがなかった」と回顧している。

 また、17年9月の本紙記事ではこうだ。

 たけしは「血と骨」に出演した時「(崔さんが)怒鳴ったり殴ったりしたらやめるよ!」って言ったら、崔さんは「絶対しない」と約束。しかし、たけしがいない時は怒鳴っているため、スタッフがたけしに「毎日来てくださいよ。昨日は監督、大変だったんですから」と泣きついたことも。怒鳴れないため崔さんはストレスがたまったのか、たけしのマネジャーがトイレに行くと、そこにいた崔さんが「たけしのバカヤロー!」と怒鳴っていたという。

 崔監督作品から多くの名優も輩出した。その一人が「月はどっちに出ている」に出演した遠藤憲一だ。

「当時の遠藤さんはシナリオの勉強をしていた影響もあって自分のセリフを変更したがっていたそうです。ところが、崔監督は圧倒的な取材力で他の解釈を許さない完璧なシナリオを用意していたため口を出すことができなかったとか。『崔監督のおかげで完璧なシナリオに100%従った演技をすることの楽しさと難しさに気付いた』と今でも感謝しています」(映画関係者)

 在日韓国人であるがゆえの困難もあった。崔監督は、04年から日本映画監督協会理事長に就任したが、ある監督から「なんで日本映画監督協会なのに韓国人が理事長をやるんだ!」と批判を浴びたこともあったという。「最終的には若松孝二監督が間に入り、そうした文句を抑えた」(同)と苦労も多かった。

 崔さんは19年にぼうこうがんが見つかり20年4月に全摘手術を受けた。昨年、がんがリンパ節などに転移していることがわかり、今年1月に闘病中であることを公表していた。

 4月には、親交のあった松田優作さんをテーマにした2作品「松田優作・メモリアル・ライブ」、「優作について私が知っている二、三の事柄」の上映とトークライブを行う「ラスト・ショー」を開催。公の場に姿を見せていたが、帰らぬ人となってしまった。